ワラキアとモルダヴィア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:54 UTC 版)
「奴隷制度廃止運動」の記事における「ワラキアとモルダヴィア」の解説
ワラキアとモルダヴィア公国(ルーマニアの地方)において、18世紀中ごろに農奴が解放された(ワラキアは1746年、モルダヴィアは1749年)が、ロマ(しばしばジプシーと呼ばれる)の奴隷化は19世紀の初めまで合法であった。奴隷制度廃止運動は急進的なヨーロッパ寄りで反オスマン帝国の運動と連動し、2つの公国の中で力を得ていった。1843年から1855年にかけて、25万人のロマ奴隷が解放され、その多くはルーマニアを離れて西ヨーロッパや北アメリカに移住した。
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