ワラキアの独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:10 UTC 版)
ポサダでの勝利によってワラキアはハンガリーからの独立を達成し、国際社会での立場も変化する。 1331年2月、バサラブは娘婿イヴァン・アレクサンダルのブルガリア皇帝即位に協力する。1331年から1332年にかけ、ワラキア軍はブルガリアの反ビザンツ戦争を支援した。また、この時期にバサラブはハンガリーからセヴェリンを奪回したと思われる。 カーロイ1世が没し、ラヨシュ1世がハンガリー王位に就いた後、1343年と1345年にワラキアはハンガリーからの攻撃を受ける。この時にワラキアは再びセヴェリンを失い、バサラブの共同統治者であった息子のニコラエ・アレクサンドルは、ハンガリーに形だけの臣従の意思を示した。 1352年にバサラブは没する。アルジェシュには、バサラブの宮殿の廃墟が残る。
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