ペルシア医学・イスラム医学とは? わかりやすく解説

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ペルシア医学・イスラム医学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 05:59 UTC 版)

医学史」の記事における「ペルシア医学・イスラム医学」の解説

詳細は「en:Medicine in medieval Islam」および「ユナニ医学」を参照 ペルシア医学 ペルシア医学研究および実践長く豊かな歴史持っているペルシア東洋西洋交易路位置するため、しばしばギリシャインド両方医学発展享受した東ローマ帝国敵対していたサーサーン朝は、キリスト教徒による異端異教徒迫害逃れたアレクサンドリアアテナイ学者たちを積極的に受け入れジュンディーシャープール学者生徒たち集い各国医学書翻訳され盛んに研究が行われた。教育を行う病院考案されたのは、ジュンディーシャープール大学であるとも言われている。 イスラム医学 ムスリムキリスト教ネストリウス派など、様々な宗教人種医師錬金術師薬剤師たちによる、解剖学眼科学薬理学薬学生理学外科学製剤科学などの医学領域への多大な貢献により、イスラム文化はは古代ギリシア・ローマ医学技術をさらに発展させた。ガレノスヒポクラテス過去典拠となっていた。830年ごろから870年ごろまでのガレノス著作129点は、フナイン・イブン・イスハークとその助手たちによってアラビア語翻訳された。その中でも特にガレノス主張する理性的体系的な医学アプローチが、イスラム医学ひな型として、イスラム帝国内に素早く広まった医師によって初め専門病院設立された。専門病院その後十字軍遠征の間にヨーロッパ広まったが、これも中東病院から着想得たのであるキンディー801 - 873?)は『De Gradibus』を著し数学医学(特に薬学)へ適用して論じたキンディーは『De Gradibus』の中で、強さ度合い測る数学的な軽量法や、医者患者病気の最も危険な時期特定する仕組み開発したアル・ラーズィー(865-925)は自身経験した臨床事例記録し様々な病気について有用な記録残した。『包含の書』(al-Hawi, アル=ハーウィー)は、アル・ラーズィー(ラテン名でラゼス(Rhazes)とも呼ばれる)の最大著作集である。この中でラーズィーは自らの経験による臨床事例記録し様々な病気有用な記録残している。ラーズィーの『天然痘麻疹の書』(al-Judari wa al-Hasbah)では麻疹天然痘について記述しヨーロッパ大きな影響与えた。『ガレノス対す疑念』(Al-Shukuk ʿala Jalinus、英:Doubts About Galen)では経験的な方法から四体液説誤り証明するなど、ガレノス医学批判加えた。また錬金術対す知識深く医師活動の中で意図的にアルコール用いた初めての医師となったアブー・アル=カースィム・アッ=ザフラウィー(アブルカシム)は近代外科学の父と考えられ30巻の医学事典「Kitab al-Tasrif」を著した。これは17世紀までイスラム圏ヨーロッパ医学部教材使われた。アブルカシムは女性にのみ用いるものも含め数多くの手用具用いた。これには腸線鉗子結紮糸・手術針・メス・キューレット・開創器・手術用スプーン・ゾンデ・手術フック手術ロッド膣鏡・骨用鋸・漆喰などがある。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ムータジラ派哲学者でもあった[要出典]イブン・スィーナー(980 - 1037、ラテンアヴィケンナ)は、医学の父といわれ、歴史上最高の思想家医学者ひとりである。著書『医学典範』(1020)および『癒しの書』(11世紀)は、17世紀までイスラム圏ヨーロッパ標準テキストであり続けたイブン・スィーナー業績には、体系的な生理学研究中に実験量化導入したこと、感染症感染性質の発見感染症拡散抑制するための検疫導入実験医学治験の導入の他にも、細菌・ウイルスについて、縦隔と胸膜炎の区別結核感染性質、や土からの病気の蔓延肌荒れについての詳細な記述性感染症倒錯神経系失調などの記述初め行い、また発熱に対して氷を用いたり薬理学医学区別したり(製薬科学発展において重要)もした。 1021年イブン・アル=ハイサム(アルハセン)(965 - 1040)によって眼科手術重要な進歩があった。アルハイサム視界視覚プロセス研究し著書『Kitab al-Manazir』(光学の書)の中で初め正しく説明した。 イブン・アル=ナフィスは、初め肺循環冠動脈について記して循環系基礎作ったため、循環理論の父と呼ばれるアル=ナフィスはまた、代謝概念最初に述べた。また生理学および心理学新しい体系作り上げてイブン・スィーナーガレノス体系に取って代わった。この中でアル=ナフィスは彼らの四体液説脈動、骨、筋肉、腸、感覚器胆汁、管、食道、胃などについての誤った考え批判した。イブン・アル=ルブディは四体液説否定し人体およびその保全血液のみによることを発見した。また女性精液生産できるというガレノスの節を否定し動脈動き心臓よるものではないこと、胎児の体で最初に作られる臓器心臓ということ(ヒポクラテスは脳だと考えていた)、頭蓋骨作る骨は腫瘍になりうるということ発見したモーシェ・ベン=マイモーンマイモニデス)はユダヤ人だったが、13世紀イスラム医学様々な貢献果たした。 マンスール・イブン・イリヤスの『人体解剖書』(Tashrih al-badan 1390年ごろ)には、人体構造上の神経系循環器系の全図が掲載された。14世紀アンダルスにおけるペスト腺ペスト流行期に、イブン・カティマとイブン・アル=カティブは、伝染病人間の体に入り込む微生物原因であることを発見したその他にムスリム医師によってなしとげられた医学上発展には、免疫系発見微生物学導入動物実験活用、他の科学分野とのコンビネーション(農学植物学化学薬理学など)、注射器発明(9世紀イラク アマー・イブン・アリ・アル=マウシリによる)、最初薬局誕生(バグダード 754年)、医学薬学区別(12世紀以前)、2000種類上の医学化学物質発見などがある。

※この「ペルシア医学・イスラム医学」の解説は、「医学史」の解説の一部です。
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