ペルシア化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 06:13 UTC 版)
アッバース朝の成立によって生じた最大の変化としては、ペルシア人の影響力が増したことがあげられる。 ペルシア人はウマイヤ朝時代には単なる従属民とされていたが、ホラーサーン軍に参加してアッバース革命に大きく貢献したこともあり、アッバース朝の時代には多くのペルシア人官僚が取り立てられた。文官筆頭の宰相(ワジール)の位もほぼペルシア人によって独占された。たとえば初代ワジールに任じられたアブー・サラマはイラン系マワーリーであった。アブー・サラマが粛清の対象として処刑されたあとは、バルフの仏教寺院管長の子孫であるバルマク家の者たちがハールーン・アッラシードの時代までワジール位を独占する。 また軍事面でも、初期アッバース朝の軍隊の中核を担ったのはホラーサーン人によるカリフの親衛隊(ホラーサーニー部隊)であった。文化面でもペルシア化が進み、宮廷ではサーサーン朝に倣った官制や称号、衣服などが導入され、民衆のあいだでもペルシア系文化の影響が増大した。こうした点から、当時のアッバース朝を実質的にアラブ人とペルシア人の連合政権であるとする研究者もいる。
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