アリューシャン侵攻以降とは? わかりやすく解説

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アリューシャン侵攻以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 08:14 UTC 版)

木曾 (軽巡洋艦)」の記事における「アリューシャン侵攻以降」の解説

6月AL作戦西部アリューシャン攻略作戦)に参加第二十一戦隊駆逐艦3隻などとともにAOB攻略部隊AOBキスカとなった同作戦に先立ち、「木曾」は「君川丸とともに特別偵察隊として偵察行った。2隻は5月6日厚岸出撃し、5月11日アダック島キスカ島偵察実施して5月18日大湊帰着したAOB攻略部隊5月28日陸奥海湾出港して幌筵移動し6月2日同地より出撃6月7日夜に上陸行われ6月8日早朝にはキスカ港の要地占領した。「木曾」は6月17日キスカ離れたその後、「木曾」は主隊、次いで支援隊に編入敵艦隊に対す邀撃作戦行っていた主隊、支援隊及び空母部隊である第二機動部隊6月24日までに大湊帰投した。「木曾」は6月24日川内湾着。6月28日各部隊第二次邀撃作戦及びキスカ島への輸送部隊掩護のため出撃一部7月7日帰途に就き残り他の任務就いた艦を除き7月18日までに横須賀帰投した。「木曾」は7月16日横須賀着。 「木曾」、「多摩」は8月2日横須賀発で8月6日大湊着。この頃には第二十一戦隊は主隊となっている。8月8日アメリカ艦隊キスカ島砲撃北方部隊幌筵集結し8月12日北方部隊の主隊(駆逐艦1隻欠)と護衛隊アリューシャン方面向けて出撃した。「木曾」の行動8月8日大湊発、8月11日幌筵着、8月12日幌筵発、となっている。出撃同日日本の本土東方不時着水偵を発見したとの報告があり、連合艦隊アメリカ機動部隊出現判断北方部隊の主隊、護衛隊南下して索敵従事することとなった。しかし、結局なにも発見されず、北方部隊の主隊などは8月16日大湊入港した発見誤報であったものと思われる8月27日アトカ島東部ナザン湾に敵巡洋艦発見報告があり、8月29日北方部隊の主隊、護衛隊大湊出港したが、台風のため加熊別湾に入泊した9月3日には今度は「呂号第六十二潜水艦」が巡洋艦等の発見報告し第二十一戦隊などは再び出撃し、アッツ島南西方面向かった。しかしアメリカ艦隊来襲はなく、主隊などは9月18日大湊帰投した。この間には陸軍部隊アッツ島からキスカ島への移駐が行われていた。9月中頃の主隊は第二十一戦隊のみであった監視艇からの敵味方不明飛行機発見報告受けて9月30日に主隊および護衛隊大湊から出撃するも、特に何もなかった。 10月末からアッツ島の再占領が行われた。そのために10月21日に「木曾」、「多摩」と第一水雷戦隊挺身輸送部隊編成された。10月27日から挺身輸送部隊陸軍米川部隊主力アッツ島輸送した陸軍部隊を運ぶのは「木曾」、「多摩」、「阿武隈」で、3隻は柏原湾や片岡湾で人員物件をのせて片岡湾へ移動10月27日挺身輸送部隊は主隊と共に出撃し、10月29日夜に揚陸行って11月1日片岡湾に帰投した。「木曾」の輸送人員物件計画では人員199名、機銃4基、無線通信機弾薬等約30トンとなっている。11月17日、「木曾」は小樽着。「木曾」は「阿武隈とともに小樽アッツ島への増強部隊である独立野戦高射砲第二十四中隊独立工兵第三百二中隊独立無線第十小隊をのせた。計画では「木曾」の搭載内容人員225名、機銃3基、糧秣燃料弾薬であったその後アッツ島への輸送部隊(「木曾」、「阿武隈」、駆逐艦若葉」)と主隊は加熊別湾へ移動し11月23日同地出撃11月25日揚陸行って11月28日に加熊別湾に帰着した11月30日から「木曾」、「阿武隈」、「若葉」の3隻(K船団)は独立歩兵第三百二大隊主力幌筵からキスカ島輸送計画では「木曾乗艦者は266であった12月3日揚陸行って12月7日幌筵帰投復路では2隻は内地への帰還者(「木曾」は114名)を乗せていた。その後木曾」は舞鶴向かって12月12日到着し修理防寒工事が行われた。 「木曾」は12月30日舞鶴発で、31日大湊着。1943年1月前半幌筵方面などにあった。「木曾」と「若葉」はキスカ島への人員輸送のため1月18日17日)に幌筵出撃したが、荒天及び敵潜水艦発見実際は「伊号第三十五潜水艦」)のため輸送断念された。2月10日、「初霜とともに崎戸丸」を護衛してキスカ島向けて幌筵より出港。しかし、「崎戸丸」の舵機故障により引き返した2月13日第十船団として「崎戸丸」と「春幸丸」を「初霜」、「若葉とともに護衛してキスカ島向けて幌筵より出航。しかし、アメリカ水上部隊出現しアッツ島対す艦砲射撃があったことから、輸送断念され船団引き返した2月20日アッツ島への輸送中の「あかがね丸」がアメリカ水上艦艇により撃沈された。そのため、北方部隊はその大半輸送作戦投入することとなった3月7日水上機飛行場資材人員等を運ぶ「君川丸」、「粟田丸」、「崎戸丸」の3隻(第二十一船団、イ船団)とその護衛および「多摩」、「木曾」、重巡洋艦那智」、「摩耶」は3月7日幌筵海峡より出撃3月10日揚陸成功し3月13日全部幌筵海峡帰投した。この後木曾」は舞鶴向かったため、アッツ島沖海戦発生することとなった次の輸送作戦には参加していない。3月20日、「木曾」は舞鶴着。 整備終えた木曾」は4月28日舞鶴発で5月3日幌筵着。5月11日、「木曾」は駆逐艦若葉」、「白雲とともにアッツ島四五二空観測機を運ぶ「君川丸」を護衛して幌筵出撃(「白雲」は途中で分離)。5月12日アメリカ軍アッツ島上陸により「君川丸搭載機による敵船攻撃命じられる天候不良実行できず、その後輸送中止となり幌筵海峡戻った 7月キスカ島撤退作戦参加するその後内地南方方面陸軍部隊輸送任務等に従事した9月11日連合艦隊下令により丁一号輸送部隊指揮官隼鷹艦長空母隼鷹軽巡木曾多摩》、駆逐艦大波谷風》、栗田丸)が編制され海上機動旅団(甲支隊)を輸送するになった9月15日木曾多摩宇品出発22日カロリン諸島ポナペ揚陸した。2隻はトラック泊地回航されて待機10月24日隼鷹谷風が甲支隊輸送してトラック到着し木曾多摩谷風移乗する。3隻は26日トラック発ち27日進出して部隊揚陸した。輸送任務完了をもって一号輸送部隊解散した10月5日連合艦隊第十四戦隊司令官伊藤賢三少将旗艦那珂)を指揮官として四号輸送部隊十四戦隊那珂五十鈴》、軽巡木曾多摩》、第4駆逐隊野分舞風》、駆逐艦山雲輸送船栗田丸、日枝丸護国丸清澄丸》)を編制した第一輸送隊指揮官多摩艦長多摩木曾)は10月12日第十七師団約980名と物資搭載して上海市出発18日トラック到着する駆逐艦卯月部隊編入した。19日出発しラバウルへ向かうが、21日ニューアイルランド島セント・ジョージ岬北東40浬で米軍機空襲受けた木曾の一番煙突右舷附近爆弾1発が命中一時航行不能となるが、復旧成功した木曾自力航行可能見届けて多摩ラバウル向かった木曾卯月ラバウルから救援のためかけつけた駆逐艦五月雨合流米軍機攻撃撃退しつつ21日正午前後ラバウル到着し消火成功した多摩同日中にトラック帰投し、応急修理行った木曾28日ラバウル出発30日トラック戻った木曾多摩10月23日附でT四号輸送部隊から除かれる戦力補充すべく27日附で第17駆逐隊磯風浦風)が同輸送部隊編入された。 木曾11月10日舞鶴入港し、翌1944年昭和19年2月末まで本格的な修理行ったこの際大幅な改修を受け、14cm主砲5番7番砲を撤去し12.7cm連装高角砲1門と機銃増備が行われた。1944年3月から5月末まで大湊・川内湾訓練行った後に横須賀入港し6月30日父島への陸軍輸送任務を行う。7月3日横須賀帰還後整備補給行い8月11日横須賀出港同月12日に呉へ入港する8月30日練習警備艦となり、訓練に関して横須賀海軍砲術学校指揮下に入る。10月30日木曾輸送任務をおこなう隼鷹を第30駆逐隊夕月卯月秋風と共に護衛しつつ、佐世保からブルネイに向け出港したが、途中11月3日秋風が米潜水艦ピンタドの雷撃撃沈された。輸送艦隊はブルネイ湾重巡利根合流11月10日マニラ入港した同日第五艦隊・第1水雷戦隊編入され第五艦隊司令部ブルネイ輸送する為に待機していた。12日隼鷹輸送隊レイテ沖海戦から生還した駆逐艦時雨編入し木曾残して内地帰投翌日11月13日に、マニラ湾停泊中にアメリカ海軍空母機動部隊艦載機攻撃を受け、木曾大破着底した。また周囲では駆逐艦初春、曙、沖波秋霜沈没もしくは大破着底態となっている。同日深夜残存艦艇初霜朝霜、潮、竹)はマニラ出港しシンガポール向かった

※この「アリューシャン侵攻以降」の解説は、「木曾 (軽巡洋艦)」の解説の一部です。
「アリューシャン侵攻以降」を含む「木曾 (軽巡洋艦)」の記事については、「木曾 (軽巡洋艦)」の概要を参照ください。

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