丸木舟
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丸木舟(まるきぶね)または独木舟[注釈 1](学術用語:monoxylon[注釈 2]、英: logboatあるいはdugout canoeあるいはdugout[注釈 3])は、巨木を刳りぬき一本の木で成形され、梁もしくはわずかなコベリを付ける以外付属構造物を持た舟、いわゆる単材刳舟であるカヌーを主に指す。しかし、刳りぬき部材を前後に継いだり、左右に継いだり、刳舟の両側に舷側板を継ぎ足したり、刳った舷側に船底板を組み合わせたりと、さまざまに複材化したものも、丸木舟と呼ばれる[1][2]。
注釈
出典
- ^ 「丸木舟」『日本大百科全書』(小学館)
- ^ 「丸木舟」『世界大百科事典』(平凡社)
- ^ Roger Bridgman(2014), 1000 Inventions and Discoveries. DK. ISBN 978-1409350705
- ^ 名古屋大学年代測定総合研究センター 加速器質量分析計業績報告書 1993年「諸桑の古船」小考
- ^ a b 千葉県における縄文時代丸木舟の出土例について 千葉県教育振興財団
- ^ 国内最古の丸木舟か 7500年前、千葉・市川で出土2014.2.1 - MSN産経ニュース
- ^ 最古の丸木舟を発見 縄文人の計り知れない航海力 日本経済新聞
- ^ 草加を楽しむ 綾瀬川(旧新田村)出土丸木舟
- ^ 県指定文化財 丸木舟(大宝八幡宮) 茨城県指定文化財 下妻市観光協会
- ^ 男鹿半島の漁民の足 姿を消すか丸木舟 民芸ブーム身売り続出『朝日新聞』1970年(昭和45年)6月15日朝刊 12版 23面
丸木舟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/16 15:21 UTC 版)
鳥浜遺跡から1981年7月と1982年に丸木船が1隻ずつ出土した。前者は縄文時代前期のもので、当時この期の丸木舟としては日本最古であったので第一号丸木舟と名付けられた。(1998年に京都府舞鶴市浦入遺跡でも同時期の丸木舟が出土している。)保存状態は良好であるが先端部分が失われている。船尾はとも綱を巻き付けたものか浅いくぼみが残っていて、長期間使用されたことが窺える。舟体は直径1メートルを超えるスギの大木を竹を縦に二つに割る要領で造ったと想像でき、内と外を削り、火に焦がしたりして造っている。舟底は平たい。長さ6.08メートル、最大幅63センチメートル、厚み3.5〜4センチメートル、内側の深さ26〜30センチメートル。後者は縄文時代後期(約3000年前)のもの船底のみが残っていた。現在の長さ3.4メートル、最大幅48セントメートル、厚みは4センチメートルで、内側には肋骨のように舟を補強するためのものか、または、漕ぐ時に足をかけるものかは不明だが、凸型の彫り出しがあった。材は第一号と同じくスギで造られており、第二号丸木舟と名付けられた。スギ材で造られている丸木舟は縄文時代では非常に珍しく、東日本で見つかっている舟は、イヌガヤ、ムクノキ、クリ、からなどで造られていた。丸木舟は、鳥浜の人の活躍の範囲を拡げたことであろうし、食料獲得に果たした効果も大きかったと推定される。 漁撈関係では、他にスズキ・マダイ・クロダイ・サメ・フグ・イルカ・シャチ・クジラの骨なども出土しており、淡水魚・海水魚・貝類・堅果・野菜など多様な食糧利用が明らかとなった。
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丸木舟
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2013年5月、ラウス州ドロヘダ付近にあるボイン漁師の救助と回収サービス(BFRRS)は、ボイン川からショッピングカートを撤去するための定期的な作業を行っていたところ、専門家が5000年前のものではないかと考えている古代の丸木舟を発見した。水中考古学者による最初の調査では、ここで発見された他の丸木舟とは異なり、上端に楕円形の形をしているため、非常に珍しいものである可能性を示唆している。調査は2013年現在も継続中である。
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