そりことは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > そりこの意味・解説 

そりこ【蘇利古】

読み方:そりこ

雅楽高麗楽(こまがく)。高麗壱越(いちこつ)調の小曲。舞は四人舞で、蔵面(ぞうめん)をつけ、(すわえ)を持つ。番舞(つがいまい)は壱鼓(いっこ)など。竈祭舞(かまどまつりのまい)。


そりこ

名称: そりこ
ふりがな そりこ
種別 交通・運輸通信用いられるもの
員数 1隻
指定年月日 1963.05.15(昭和38.05.15)
所有者 美保神社
所有者住所 島根県松江市美保関町美保関
管理団体名:
備考
解説文: 「そりこ」は島根県の中ノ海で赤貝をとるために古くから使われていた「くり舟」の一種で、一本原木から巧みに二本の船材を割り出し接合したものであり、船体接合にあたって別に補助材を用いていないところに特色がある。その製作技法用法等は、わが国技術史および産業史きわめて重要である。
重要有形民俗文化財のほかの用語一覧
交易に用いられるもの:  富山の売薬用具
交通・運輸・通信に用いられるもの:  そりこ  どぶね  アイヌのまるきぶね  トモド  大沼の箱形くりぶね  大船渡のまるた

そりこ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/17 17:17 UTC 版)

そりこ島根県中海などで使用されていた刳舟。かつては多様な用途に供されたが、末期にはサルボウガイ英語版漁のみに用いられていた。美保神社に保存されている一隻が重要有形民俗文化財に指定されている。別名は一間舟[1]

中海に浮かぶそりこ

概要

島根県中海を中心に用いられた刳舟である[2]。従来、そりこはマツ[1]またはモミの一木を丸太彫りして作られていた[3]。しかし大木が得られなくなると次第に2本、3本の木材を継いで用いるようになった[3]。長さは約6メートル、肩幅は広いところで約1メートル、高さは中央部で約56センチメートルである[2][注釈 1]。ただし両端の部が極端に反り、この構造から「そりこ」と呼ばれる[3]。(→#構造

本来の用途は非常に広かったものの、廉価の矧舟が普及するとそれに取って代わられるようになった[4]。中海では「赤貝」(サルボウガイ英語版)を捕るのに適した構造であったため、現代まで利用された[5]。(→#用途

文献上では宝暦年間の記録がもっとも古い[3]。現代には中海や島根半島北辺から隠岐諸島あたりに確認されるが、福井県に出雲から「反子」に乗って漂着してきた人々の伝承が残っているなど[6]、かつてはより広い範囲で活動していた[3]。(→#歴史

1960年には舟大工が3軒残っていると報告されていたが[5]、2023年現在ではすでに造船技術は途絶えている[7]。(→#製作

1963年には、美保神社に保存されている一隻が重要有形民俗文化財に指定された。島根県内の刳舟は、そりこの他に美保神社諸手船焼火神社のトモドがあり、これらは1955年にそりこに先んじて重要民俗資料に指定されていた。そりこはこの時点では数が多かったので、どの資料を文化財指定するか決めきれなかったため8年後の指定を待つこととなった[8]。(→#文化財

構造

船体の主な部分をオモキといい、元来は一本木を刳って造っていたが、材木となる大木が得られなくなると次第に2本以上の木を用いて漆と釘で継ぎ合わせるようになった[9]。木材は元はマツを使ったが、木材が不足するようになるとモミを用いるようになった[1][注釈 2]部は反っており、さらにその先に反った1尺8寸(約55センチメートル)のツラ板を取り付ける。船尾には8寸(約24センチメートル)のトコをやはりやや反り目に取り付ける[9]。この両端の反った構造から「そりこ」と呼ばれる[3]

オモキの長さは通常18尺5寸(約5.6メートル)で、ツラ板・トコを取り付けた全長は約21尺(約6.4メートル)を測る[9]。幅はオモキだけで測ると舳部で1尺5寸(約45センチメートル)、艫部では2尺4寸(約73センチメートル)、広いところで2尺8-9寸(約85-88センチメートル)あるが、実際にはタナブチという波除けの部材を取り付けるためそれぞれ4寸(約12センチメートル)幅が大きくなる[11]。高さはオモキだけでは両端が浅く中央部で1尺5寸(約45センチメートル)で、タナブチを取り付けると2寸(約6センチメートル)高くなるので中央部は1尺7寸(約52センチメートル)になる[12]

かつては遠方との往来にも用いられたため、帆柱を立てるための穴が用意されている。赤貝捕りに用途が限定されてからは専ら樫製の櫓で漕いで使うので、帆掛け船としては用いられなくなっている[13]

用途

そりこは堅牢で追い風に対し安定が良く、速力も速いという利点があったため、水上交通、漁撈、運搬など非常に広い用途に用いられていた[4]。しかし刳舟の製作費は高かったため、より安価な矧舟が登場するとサルボウガイ英語版[注釈 3]を捕る「ケタヒキ漁」に用途が限定されるようになった[14]。この漁法では、先の曲がった釘が並んで熊手のような形状をした「桁」という漁具を船尾の引き網の先に取り付け、船を漕いで引きずる。すると桁が湖底の泥土をかき回して貝を掘り起こすので、桁の後ろの網で貝を捕っていくという方法をとる[15][注釈 4]。桁が泥土に沈み込んでしまうことを防ぐためには船がローリングする必要があり、そりこはローリングさせることに適していた[15]。そうして徐々に赤貝捕り専用の船として使用されるようになると、そりこはツラ板を長くすることでよりローリングしやすいように改良が加えられた[15]

歴史

そりこの文献上の初見は宝暦13年(1763年)に記された『大根島萬指出帳』である[17]。ここでは「(弓偏に反)小舟」と表記され、大根島に合計21隻が存在すると書かれている[17]明和8年(1771年)の『大根島萬指出帳』には、そりこは54隻記録されている[17]。その後、1935年には家数が明和年間に比して2倍に達したにもかかわらず大根島のそりこの数は53隻と微減、さらに赤潮の影響で中海の赤貝が減少するとそりこは役目を失い[注釈 5]、1960年には大根島で27隻、中海全体でも50-60隻にまで急速な減少を迎えた[17]。そりこの減少の原因として上記の赤貝資源の不漁とともに、大正末から近代漁船として動力船が導入され始めたことが指摘されている[18]

1960年の時点で「ただ中ノ海の沿岸にしか残らぬ」[3]、1971年には「中海全域で廃船化したものまで入れても十艘とは残っていまい」[10]、1987年には「ただ数艘が標本として残るにすぎない」[2]という状況である。2023年現在では、その造船技術はすでに途絶えてしまっている[7]。標本として、後述の美保神社の資料のほか島根県立古代出雲歴史博物館に所蔵されるものなどが保存されている[19]

製作

1959年現在で3人の船大工が存在していたが[20]、上記のとおり2023年には継承されていない[7]。船大工には製作手法を少しずつ異にする少なくとも2つの系統がある[20]

そりこの製作は大きく分けて「伐り出し」、「荒削り」、「仕上げ」の3工程からなる[21]

八束村入江Y氏の系統
  • オモキの木どり
    カナバをきめる
    底を削る
    上ツラを削る
    肩幅をきめる
    ホテをつくる
    底の幅をきめる
    底の墨を打つ
    底の前後を落とす
  • オモキ彫り
  • オモキの中仕上げ
  • ツラ板のとりつけ
    ツラシタのとりつけ
    ツラ板のとりつけ
  • フナバリのとりつけ
  • 仕上げ
八束村亀尻K氏の系統
  • オモキの木どり
    底を削る
    カナバをきめる
    オモキの墨を打つ
    上ツラを削る
    ホテをつくる
    底の前後を落とす
    底をつくりあげる
  • オモキ彫り・仕上げ

文化財

重要有形民俗文化財
  • 「そりこ」 - 1963年5月15日指定[22][23]
    指定基準1:交通、運輸、通信に用いられるもの[22]
    指定基準2:生産、生業に用いられるもの[22]

脚注

注釈

  1. ^ または尺貫法で長さ21尺、肩幅は広いところで3尺3寸、高さは中央部で1尺7寸[3]
  2. ^ 価格の問題をクリアすれば、スギ材が最上である[10]。スギは隠岐から取り寄せた[1]。モミは家の材に使うと家がが滅ぶという俗信のために価格が安いという[4]
  3. ^ 出雲地方では「赤貝」と呼ばれ、おせち料理などに用いられる冬の食材として親しまれている[7]。かつては中海の特産であったが、明治初期以来漁獲量は減少しており、明治20年代に開始された養殖も1967年に終了した[7]
  4. ^ この方法で赤貝以外にエビも捕った[16]
  5. ^ 時期は、(勝部 1990)によると「昭和初年まで主に赤貝の桁曳きをした」(p.124)、(森本 2002)によると「昭和四十年ころ(中略)からは使われなくなっている」(p.267)とある。

出典

  1. ^ a b c d 勝部 1990, p. 124.
  2. ^ a b c 石塚 1987, p. 262.
  3. ^ a b c d e f g h 石塚 1960, p. 25.
  4. ^ a b c 石塚 1960, p. 39.
  5. ^ a b 石塚 1960, p. 26.
  6. ^ 石塚 1960, pp. 19–21.
  7. ^ a b c d e 浅沼 2023.
  8. ^ 石塚 1998, pp. 181–182.
  9. ^ a b c 石塚 1960, p. 37.
  10. ^ a b 石塚 1971, p. 191.
  11. ^ 石塚 1960, pp. 37–38.
  12. ^ 石塚 1960, p. 38.
  13. ^ 石塚 1960, pp. 38–39.
  14. ^ 石塚 1960, pp. 39–40.
  15. ^ a b c 石塚 1960, p. 40.
  16. ^ 石塚 2000, p. 77.
  17. ^ a b c d 石塚 1960, p. 41.
  18. ^ 勝部 1990, p. 126.
  19. ^ 島根県古代文化センター 2005.
  20. ^ a b 石塚 1960, p. 45.
  21. ^ 石塚 1960, p. 46.
  22. ^ a b c 国指定文化財等データベース.
  23. ^ 文化遺産オンライン.

参考文献

関連項目

  • 丸木舟
  • 諸手船 - 島根県で重要有形民俗文化財に指定されている刳舟。
  • トモド - 島根県で重要有形民俗文化財に指定されている刳舟。
  • 装飾古墳 - 珍敷塚古墳などに大きく舳部が反る船の図像が描かれている。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「そりこ」の関連用語

そりこのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



そりこのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのそりこ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS