丸木船による郵便船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 01:03 UTC 版)
「ウエストバージニアの水運」の記事における「丸木船による郵便船」の解説
連合会議は1787年7月13日に北西部条例を全会一致で可決した。1789年8月7日、新憲法の下で北西部条例についてはわずかな修正を施しただけで、その効力を確認した。1787年にカヌーを使った辺境の上流へ郵便を運ぶ事業が始まった。合衆国の新政府は、船の運航者が2週間おきにオハイオ川に沿ってホィーリング、マリエッタ、メイズビルおよびシンシナティの間を、ウェストバージニアやオハイオの開拓地で停まりながら郵便を配達することに金を払った。丸木船による郵便船としてこの事業に入る者は平均以上の操船と水泳の技術を証明し、辺境に関する実際的知識を求められた。船の事故の場合を想定して郵袋は操船者の身体に巻き付けられた。ホィーリングのヘンリー砦は丸木船による郵便船の郵便局長集配所になった。
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