過去の優等列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 03:30 UTC 版)
当路線は元々、東海道本線方面と上越線方面の軍事輸送を都心から迂回する目的で建設された。また、生糸生産地の群馬県と海外輸出港である横浜港とを結ぶいわゆる「絹の道」の近代化や、既に幹線として輸送量があった高崎線のバイパスとしての役割が期待されるなど、どちらかといえば貨物輸送メインの路線であった。 このことから、東武東上線や越生線、西武池袋線・西武秩父線、秩父鉄道線などの観光客が多い路線との接続があるにもかかわらず、当路線を主な目的地とした優等列車は設定されていない。ただし、例外的に準急行列車が増発された1960年代に上越線水上駅方面へのバイパス列車として新宿駅 - 水上駅間を運行する「奥利根」(後に「みくに」と改称)が運行されたことがある。詳細は、「水上 (列車)」を参照。 1961年10月1日:準急「奥利根」が新宿駅 - 水上駅間(八高線経由)で運転開始。八高線内の停車駅は、八王子駅 - 拝島駅 - 東飯能駅 - 高麗川駅 - 越生駅(新宿行きのみ停車)- 小川町駅 - 寄居駅 - 群馬藤岡駅 - 高崎駅 1964年10月1日:準急「奥利根」が「みくに」に改称。 1965年9月26日:準急「みくに」が廃止。
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過去の優等列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 17:07 UTC 版)
以下の各急行列車が運行されていた。いずれも1966年まで準急列車。 1958年 - 1985年:急行「奥久慈」(上野駅 - 常陸太田駅・磐城石川駅間) 1964年 - 1968年:急行「久慈川」(上野駅 - 福島駅間) 1964年 - 1968年:急行「スカイライン」(水戸駅 - 福島駅間)
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過去の優等列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 17:22 UTC 版)
関門トンネルの開通以降、首都圏・名古屋・京阪神・中国地方といった本州各地と九州を結ぶ特急・急行列車も運転されていたが、2009年(平成21年)3月14日のダイヤ改正で寝台特急「富士」「はやぶさ」が廃止されたのを最後に全廃された。 九州各地を結ぶ夜行列車も運行されていたが、博多駅 - 西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)間ではこの区間で運転されていた特急「ドリームつばめ」が2004年(平成16年)3月の九州新幹線部分開業時に廃止され、博多駅 - 小倉駅間でも2011年(平成23年)3月12日の九州新幹線全線開業時に「ドリームにちりん」が廃止され消滅した。 2011年3月12日の九州新幹線全線開業直前には門司港駅・小倉駅・吉塚駅・博多駅 - 熊本駅・水前寺駅・武蔵塚駅・光の森駅・肥後大津駅間で計15往復が運転されていた特急「有明」だが、同日のダイヤ改正で博多駅 - 熊本駅間に1往復、長洲駅 - 吉塚駅間で上り1本、博多駅 - 長洲駅間に下り3本・上り1本だけの運行となった。これらの区間は九州新幹線鹿児島ルートと並行しているが、通勤輸送および新幹線運行時間外の輸送のために九州新幹線開業後も朝と夜に運行されていた。2014年3月15日のダイヤ改正で、夜行特急「ドリームつばめ」を前身とする下り博多発0時台の熊本行きが長洲行きに短縮され、上り熊本発4時台の博多行きが廃止された。さらに、2018年3月17日のダイヤ改正で長洲始発から大牟田始発に短縮された朝の上り1本を除いて廃止された。残った大牟田発博多行きの「有明」も2021年3月13日のダイヤ改正で廃止された。 2011年3月12日のダイヤ改正で、川内駅 - 鹿児島中央駅間ではホームライナー号の特急格上げにより特急「川内エクスプレス」が運行開始された が、2016年3月26日のダイヤ改正で廃止されている。この2016年3月26日の改正では特急「九州横断特急」の熊本駅 - 人吉駅間、特急「くまがわ」の全列車が廃止され、八代方面から豊肥本線に直通する特急がなくなっている。 鹿児島本線で運転された過去の主な優等列車は以下の通り。運転区間は最長のもので、〈〉内は鹿児島本線内の区間。詳細は、鹿児島本線の列車については前身の列車を含めて「有明 (列車)#鹿児島本線優等列車沿革」、東京方面との夜行列車は「東海道本線優等列車沿革」、京阪神方面との夜行・昼行列車は「山陽本線優等列車沿革」を参照のこと。 東京駅発着はやぶさ: 東京駅 - 〈門司駅 - 西鹿児島駅〉間(廃止時点では東京駅 - 熊本駅間) 富士:東京駅 - 〈門司駅 - 小倉駅〉 - 西鹿児島駅間(日豊本線経由。廃止時点では東京駅 - 大分駅間) あさかぜ:東京駅 - 〈門司駅 - 博多駅〉間 みずほ:東京駅 - 〈門司駅 - 熊本駅〉・長崎駅間 さくら:東京駅 - 〈門司駅 - 鳥栖駅〉 - 長崎駅・佐世保駅間(廃止時点では東京駅 - 長崎駅間) 名古屋駅発着金星:名古屋駅 - 〈門司駅 - 博多駅〉間 京都駅・新大阪駅発着彗星:新大阪駅 - 〈門司駅 - 小倉駅〉 - 都城駅間(廃止時点では京都駅 - 南宮崎駅間) なは:新大阪駅 - 〈門司駅 - 西鹿児島駅〉間(廃止時点では京都駅 - 熊本駅間) 明星:新大阪駅 - 〈門司駅 - 西鹿児島駅〉間 あかつき:新大阪駅 - 〈門司駅 - 西鹿児島駅〉間(1975年まで) あかつき:新大阪駅 - 〈門司駅 - 鳥栖駅〉 - 長崎駅・佐世保駅間(1975年から。廃止時点では京都駅 - 長崎駅間) きりしま(寝台特急):京都駅 - 〈門司駅 - 西鹿児島駅〉間(廃止時点では新大阪駅 - 西鹿児島駅間) 月光:新大阪駅 - 〈門司駅 - 博多駅〉間(1972年まで) 岡山駅発着月光:岡山駅 - 〈門司駅 - 西鹿児島駅〉間(1972年から) 九州内のみ運転オランダ村特急:〈門司港駅 - 鳥栖駅〉- 佐世保駅間 有明:〈門司港駅・小倉駅・吉塚駅・博多駅 - 長洲駅・熊本駅・水俣駅・西鹿児島駅〉・水前寺駅・武蔵塚駅・光の森駅・肥後大津駅間(廃止時点では博多駅 - 大牟田駅間) ドリームつばめ:〈博多駅 - 西鹿児島駅〉間 リレーつばめ:〈門司港駅・小倉駅・博多駅 - 熊本駅・新八代駅〉間 ドリームにちりん:〈博多駅 - 小倉駅〉- 南宮崎駅・宮崎空港駅間 にちりん:(下関駅・)〈博多駅・門司港駅・門司駅 - 小倉駅〉- 大分駅・南宮崎駅・〈鹿児島駅 - 西鹿児島駅〉(下関駅発着は1986年 - 1992年、西鹿児島駅発着は1968年 - 1995年、門司港駅発着は1988年 - 1997年、博多駅発着は1968年 - 2001年) くまがわ:〈熊本駅 - 八代駅〉- 人吉駅間 川内エクスプレス:〈川内駅 - 鹿児島中央駅〉間 ゆふいんの森:〈博多駅 - 小倉駅〉 - 大分駅 ・久大本線 由布院駅間 (2017年7月15日 - 2018年7月12日)。
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過去の優等列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 18:37 UTC 版)
戦後、1954年(昭和29年)に進駐軍専用列車「デキシー・リミテッド (Dixie Limited)」が日本に返還されて急行「西海」と改名のうえ東京駅 - 佐世保駅間を結んだのを皮切りに、東海道本線・山陽本線から佐世保線へ直通する急行列車が多数設定された。その後、1964年(昭和39年)に大阪駅発着の急行「平戸」(のちに2代目「西海」に改名)、1965年(昭和40年)に東京駅発着の寝台特急「さくら」、新大阪駅発着のディーゼル特急「みどり」(後に「いそかぜ」→「かもめ」に変更)、1967年(昭和42年)に新大阪駅発着の寝台特急「あかつき」が運行を開始した。 1975年(昭和50年)3月10日の山陽新幹線全線開通後も夜行列車の「西海」「さくら」「あかつき」は存続したが、その後の交通体系の変化に伴い夜行列車の利用客は減少の一途をたどり、1980年(昭和55年)10月1日に「西海」が廃止された。次いで、1999年(平成11年)12月4日に「さくら」が「はやぶさ」との併結化に伴い「さくら」の佐世保駅発着列車が廃止された。そして2000年(平成12年)3月11日に「彗星」との併結化に伴い「あかつき」の佐世保駅発着列車が廃止されたのを最後に、佐世保線と本州を直通する優等列車、および佐世保線に乗り入れる夜行列車は消滅した。 また、1999年3月13日から2003年(平成15年)3月14日までは、早岐駅 - 佐世保駅間に佐世保駅 - 長崎駅間(大村線経由)の特急「シーボルト」が運行されていたが、利用不振により廃止された。
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過去の優等列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 18:49 UTC 版)
「長崎本線優等列車沿革」も参照 2000年代までは、夜行列車としては東京駅 - 長崎駅間の寝台特急「さくら」・京都駅 - 長崎駅間の寝台特急「あかつき」が運転されていたが、「さくら」は2005年3月1日のダイヤ改正で、「あかつき」は2008年3月15日のダイヤ改正で廃止され、夜行列車や本州直通優等列車の運転はなくなった。 なお、JR初期や国鉄時代までさかのぼると、関門トンネルが開通した1942年から東京駅 - 長崎駅間に特急・急行列車が運行されていた。初例としては、特急列車「富士」が1942年から1943年まで運行された。この列車の上りは上海航路運航日は接続列車として、1駅先の長崎港駅を始発とする形で運転された。ただし、この列車以前にも上海航路への接続列車として長崎駅から長崎港駅まで1駅延長運転されたものもあった。 戦後の東京・関西方面 - 長崎駅間の列車としては「さくら」「あかつき」のほか、1950年代から急行列車として「雲仙」・「西海」(-1980年)、特急列車として「かもめ」(1961年 - 1975年、京都駅 - 長崎駅間の運転)、「はやぶさ」(1968年 - 1975年)、「みずほ」(1975年 - 1994年)があった。 また、博多駅 - 長崎駅間には急行「ふたば」・「ながさき」・「出島」が運行されていた。それらの一部には佐世保駅発着の列車を連結しているものもあった。また、佐世保線・大村線経由で運行される列車があり、早岐駅から佐世保駅まで区間運行の列車が接続するダイヤが組まれていた。
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