長崎港駅とは? わかりやすく解説

長崎港駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/23 23:44 UTC 版)

長崎港駅
駅舎と日華連絡船発着所(1931年頃)
(岡林隆敏『上海航路の時代』より)
ながさきみなと
Nagasakiminato
長崎 (1.1 km)
所在地 長崎県長崎市出島町
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 長崎本線
キロ程 126.4 km(鳥栖起点)
電報略号 サト
駅構造 地上駅
開業年月日 1930年昭和5年)3月19日[1]
廃止年月日 1987年(昭和62年)3月31日[1]
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長崎港駅(ながさきみなとえき)は、長崎県長崎市出島町にあった日本国有鉄道(国鉄)長崎本線廃駅)である。長崎本線の終着駅であった。

概要

日華連絡船上海航路)との客貨接続を目的として1930年昭和5年)3月19日に開業した[2] 。連絡船入港時に門司駅(現・門司港駅)からの航路連絡のための列車(ボート・トレイン)が当駅まで乗り入れた。

長崎駅からの路線は長崎港の海岸沿いを走り、出島岸壁(現在の長崎出島ワーフ付近)にあった当駅に到着。隣接する埠頭で上海航路の船に接続していた。

1942年(昭和17年)11月に関門トンネルが開通したことに伴うダイヤ改正で特別急行列車富士」が航路運航日に限り上りは当駅始発とされた(その他の日は長崎駅発)が、戦況の悪化に伴い翌1943年(昭和18年)10月には「富士」が博多駅までに短縮され、上海航路も1943年(昭和18年)10月に最後まで残った「上海丸」が揚子江口で沈没し、事実上の終焉を迎えた[3]

戦後も当駅は旅客・貨物とも扱う一般駅として残され、旅客については「上海航路連絡列車によるものに限る」とされたが、1946年(昭和21年)を最後に時刻表への掲載がなくなり[4]、以後実質は貨物駅として運用された(ただし、一時期工場勤務者のための通勤列車が運行されていたという記録もある)。

1949年(昭和24年)に当駅から南側の大浦川河口まで引き込み線が延長されたが、将来的には小ヶ倉深堀方面まで延長する計画も存在した[4]

貨物取扱量の減少に伴い、1982年(昭和57年)に当駅に発着する貨物列車が全廃され[4][5]国鉄分割民営化前日の1987年(昭和62年)3月31日には駅自体が廃止となった。廃止時まで長崎 - 当駅間は電化されなかった。

駅跡地および廃線跡は歩道公園として整備されている。

歴史

利用状況

旅客

  • 1930年(昭和5年):乗車2,846人 降車1,274人[6]

貨物

  • 1948年(昭和23年):発送57,068トン 到着5,213トン
  • 1949年(昭和24年):発送70,654トン 到着70,704トン[6]

駅周辺

隣の駅

日本国有鉄道
長崎本線
長崎駅 - 長崎港駅

脚注

  1. ^ a b c d e 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、716-717頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 上海航路, p. 12.
  3. ^ 上海航路, p. 20.
  4. ^ a b c 新市史四巻, p. 422.
  5. ^ 鉄輪, p. 226.
  6. ^ a b 六十五年史, p. 79-81.

参考文献

  • 長崎市役所総務部統計調査課 編『長崎市制六十五年史』長崎市、1959年3月。 
  • 川崎孝夫 編『鉄輪の轟き 九州の鉄道100年記念誌』九州旅客鉄道、1989年10月。 
  • 岡林隆敏『上海航路の時代』長崎文献社、2006年10月。 ISBN 4888510350 
  • 長崎市史編さん委員会 編『新長崎市史 第四巻現代編』長崎市、2014年3月。 

関連項目


長崎港駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 08:07 UTC 版)

ボート・トレイン」の記事における「長崎港駅」の解説

詳細は「長崎港駅」を参照 長崎市長崎港からは上海へ航路日華連絡船)が明治時代より設定されていたが、大正 - 昭和に入ると日中相互連絡はますます盛んになった。そのため長崎でも、船の発着する日には列車直接付近まで乗り入れさせる考え生まれたその結果長崎本線長崎駅から1駅延伸する形で長崎港駅(ながさきみなとえき)が1930年昭和5年3月19日開設され門司駅(現、門司港駅)からの直通列車の運行開始された。これら列車関門連絡船挟んで東京駅 - 下関駅間運転の特別急行列車急行列車にも接続していた。1934年昭和9年12月1日改正当時の様子は、以下の通りである。 (107)門司2300長崎港735 (102)長崎港1435→門司1940急行その後1942年昭和17年7月関門鉄道トンネル開通し同年11月15日関門トンネルでの旅客輸送開始されると、長崎港駅には東京から直通列車乗り入れる様になった。そのときダイヤ改正によると、下記のように特急富士」の乗り入れ行われている。 (35)東京1525→大阪500・514→門司2104・2145→長崎港744 (2)長崎港1530→門司2034・2045→大阪641・650東京1525(特急富士」) しかし、まもなく潜水艦魚雷攻撃によって船の多く使用不能となり、航路運行途絶えたためこれらの列車消滅したその後戦中戦後には、長崎港駅まで工場勤務員のための通勤列車乗り入れ行われていたとされている。なお、長崎港駅は貨物駅として1980年代休止されるまで存続し最終的に廃止されたのは1987年昭和62年3月31日国鉄分割民営化前日であった。 なお、上海航路復活目指していた長崎県は、その後連絡鉄道再開模索したが、航路復活その後再び休航したもの鉄道復活実現しなかった。

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