長崎港駅
長崎港駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 08:07 UTC 版)
詳細は「長崎港駅」を参照 長崎市の長崎港からは上海への航路(日華連絡船)が明治時代より設定されていたが、大正 - 昭和に入ると日中相互の連絡はますます盛んになった。そのため長崎でも、船の発着する日には列車を直接港付近まで乗り入れさせる考えが生まれた。その結果、長崎本線を長崎駅から1駅延伸する形で長崎港駅(ながさきみなとえき)が1930年(昭和5年)3月19日に開設され、門司駅(現、門司港駅)からの直通列車の運行が開始された。これら列車は関門連絡船を挟んで東京駅 - 下関駅間運転の特別急行列車・急行列車にも接続していた。1934年(昭和9年)12月1日改正当時の様子は、以下の通りである。 (107)門司2300→長崎港735 (102)長崎港1435→門司1940(急行) その後、1942年(昭和17年)7月に関門鉄道トンネルが開通し、同年11月15日に関門トンネルでの旅客輸送が開始されると、長崎港駅には東京からの直通列車が乗り入れる様になった。そのときのダイヤ改正によると、下記のように特急「富士」の乗り入れも行われている。 (35)東京1525→大阪500・514→門司2104・2145→長崎港744 (2)長崎港1530→門司2034・2045→大阪641・650→東京1525(特急「富士」) しかし、まもなく潜水艦の魚雷攻撃によって船の多くが使用不能となり、航路の運行が途絶えたためこれらの列車も消滅した。その後の戦中・戦後には、長崎港駅まで工場勤務員のための通勤列車の乗り入れも行われていたとされている。なお、長崎港駅は貨物駅として1980年代に休止されるまで存続し、最終的に廃止されたのは1987年(昭和62年)3月31日と国鉄分割民営化の前日であった。 なお、上海航路の復活を目指していた長崎県は、その後連絡鉄道の再開も模索したが、航路は復活(その後再び休航)したものの鉄道の復活は実現しなかった。
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