本州-九州直通列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/28 09:57 UTC 版)
「1942年11月15日国鉄ダイヤ改正」の記事における「本州-九州直通列車」の解説
関門鉄道トンネルは本州と九州を鉄路で直結したことから、当然ながらこのダイヤ改正では直通列車が多数設定された。 まず、当時の国鉄を代表する優等列車であった特別急行列車「富士」は、それまでの下関駅発着から長崎駅発着に延長され、さらに上海からの航路が長崎に入港する日には、港付近に設けられた長崎港駅まで上り列車に限り乗り入れる事になった。そして東京と下関を結んでいたもう一本の特急列車である「櫻」は、それまでの下関駅発着から鹿児島駅発着へ延長されたが、急行7・8列車と急行列車に格下げされる事になった。なお、「富士」同様に国際連絡運輸の一環をなしていた東京駅 - 下関駅(呉線経由)間の急行7・8列車は、急行3・4列車に改められてこれまた鹿児島駅まで足を伸ばした。この列車は、全区間走破に2泊3日を要することになった。 他にも、所要時間41時間25分という鹿児島駅発東京駅行きの上り普通34列車など、下り19本・上り18本の列車(内特急が1往復、急行が4往復)が同トンネルを越えることになった。 その一方で長距離移動客や観光客を抑制しようとの考えから、東京駅 - 大阪駅間で運行されていた特急「燕」の不定期増発列車や、東京駅 - 沼津駅間運行の温泉準急列車(現在の快速列車に近い。「踊り子 (列車)」も参照)などが廃止されている。
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