神戸寄港と「長崎県上海市」とは? わかりやすく解説

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神戸寄港と「長崎県上海市」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 02:05 UTC 版)

日華連絡船」の記事における「神戸寄港と「長崎県上海市」」の解説

華々しく運行開始したものの乗客数伸び悩み国庫から年間45万円もの補填受けたにも関わらず45万円欠損計上した日本郵船長崎港での帯港時間短縮運行回数等の見直し等の合理化着手し1924年大正14年5月からは航路起点神戸港とし、神戸長崎間の都市間輸送による乗客数増加狙った神戸長崎間の運賃10円3等)で、「汽車よりも安くて快適」と乗客評価高く利用者順調に伸び始めた1927年昭和2年)には出島岸壁北側に元船岸壁完成し出島岸壁合わせて8.000トン級の船舶2隻、もしくは5.000トン船舶同時着岸が可能となった1930年昭和5年)には長崎駅から出島岸壁へいたる鉄道線路通称臨港線)が開通し出島岸壁隣接地長崎港駅開設された。長崎港駅へは、連絡線入港時にのみ門司行き急行列車当時関門トンネル未開通)が接続する形が取られ大阪東京方面へと向かう乗客利便性向上した1934年昭和9年)に日本初国立公園指定され雲仙は、本航路存在により「上海から近く温泉の出る避暑地」として注目集めた当時長崎市民にとって旅券不要な上海は「長崎県上海市」、「下駄履きでいける外国と言われるほど身近な存在となっていた。当時新聞記事大阪毎日新聞 1933年1月10日付)では、日本人居留民出身地について九州人中、一番多いのはなんといつても海一つの長崎県人で約一万五千名、次が佐賀県人、福岡熊本鹿児島、大分の各県の順となつてゐる。(後略)」と紹介されている。1930年時点の上在住日本人総数24,207人であり、居留民半数以上が長崎県出身であった

※この「神戸寄港と「長崎県上海市」」の解説は、「日華連絡船」の解説の一部です。
「神戸寄港と「長崎県上海市」」を含む「日華連絡船」の記事については、「日華連絡船」の概要を参照ください。

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