出身地について
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「ログネダ・ログヴォロドヴナ」の記事における「出身地について」の解説
一部の歴史学者の意見では、ログヴォロドやログネダなどのポロツクの支配者層は他国の(あるいはヴァリャーグの)出身であるという。『原初年代記』には、ログネダの父のログヴォロドは海を越えてきて、ポロツクに自分の政権を有していたと記述されている。この記述から、ログヴォロドは、同時代にトゥーロフの支配者であったトゥルィと共に、キエフの公家であるリューリク朝や、他の東スラブ人の土地の出身ではなかったとする説である。 「ログネダ」という名についても研究されている。すでに19世紀初めには、ドイツ人のロシア史学者であるA.L.シュローザー(de)が、ログネダはラグンヒリト、ログヴォロドはリョーグンバリトという名であったとみなしている。また、北欧の権威ある歴史学者であるE.A.リゼフスカヤとT.H.ジャクソン(注:両名ともロシア語表記の日本語音写)も、ログネダとログヴォロドの名前について研究している。一方、T.P.ティマフェーイヴァ(ru)によれは、ログネダの名はスラヴ起源であるという。また、ログネダがウラジーミルの求婚に対して言った、「奴隷の履物を取るのはいやです」という発言を、スラヴの習慣を熟知していたことの証明だとみなす説がある。
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出身地について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 01:29 UTC 版)
出身地は尾張国・美濃国・摂津国・近江国など諸説あるが、『信長公記』に恒興の与力として尾張国海東郡一色村の者がおり、その付近が有力である[独自研究?]。
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