近鉄百貨店京都店
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近鉄百貨店京都店(きんてつひゃっかてん きょうとてん、別名:「プラッツ近鉄 (PLATZ Kintetsu)」)は、2007年(平成19年)2月28日まで京都府京都市下京区の京都駅前にあった日本の百貨店である。
注釈
- ^ 2023年現在も株主であり、その流れで、上新電機のカード会員向けノベルティグッズの製作を近鉄百貨店の外商部が行っていたことがあった。
- ^ 丸物の役員でもあったが、松菱を創業し、大門百貨店を津松菱として継承した百貨店経営者である。松菱(浜松松菱、沼津松菱)と津松菱も丸物系列の百貨店として共同広告を出したこともある。
- ^ 当初の「三星」、のちの「丸栄」
- ^ 条件面で折り合わず、岐阜髙島屋として単独出店している。丸物は直営2店舗とも髙島屋がライバルとなる予定だった。
- ^ 近鉄百貨店の取締役にも就任した。その後、1981年5月からは京都近鉄の取締役相談役に就任し、近鉄百貨店(現法人・丸物→京都近鉄の法人格を継承)との合併を経て、2001年4月25日の取締役会で取締役を降りて代表権のない相談役になるまで就いていた。
- ^ 地元紙・京都新聞へは「丸物の名称が消えるが、近鉄グループが責任をもって当店を運営する」旨の広告を出した。
- ^ 和歌山近鉄百貨店(当時)は1987年に旧店舗から移転してJR西日本の駅ビル「和歌山ターミナルビル」に出店している
- ^ 名鉄百貨店、ジェイアール名古屋タカシマヤ(1999年開業)、松坂屋本店(1991・2003年増床)・名古屋駅店(2010年閉店)、名古屋三越、丸栄(2018年閉店)
- ^ 厳密にはこの時点では京都近鉄百貨店と兄弟会社の中部近鉄百貨店が運営していたが、当店の閉店2年後の2009年(平成21年)に同社が近鉄百貨店に合併して近鉄百貨店の直営店になっている。このため、当店と同じ時期に同じ会社の店舗となったことはないものの、近鉄百貨店・京都近鉄百貨店・中部近鉄百貨店の間には人的交流があった。
- ^ 髙島屋は東神開発をはじめ主要な子会社の本社は東京都中央区に置いており、その後、大丸も松坂屋との経営統合で2010年3月1日に大丸松坂屋百貨店として東京都江東区へ本社移転している。なお、大丸松坂屋友の会(大阪府高槻市、松坂屋高槻店の5階に所在)など、多くの大丸松坂屋関連会社は近鉄百貨店のそれと同様に大阪府内各地へ所在する。
- ^ 厳密にはジェイアール西日本伊勢丹の本社も京都市下京区であるが、これは東京発祥・本社の伊勢丹→三越伊勢丹とJR西日本の合弁であるため。
- ^ 2005年7月上旬、日本経済新聞が「プラッツ近鉄の核テナントとしてヨドバシカメラが入居」と報道したが、近鉄百貨店は否定した。
- ^ 池袋パルコとして営業中。
- ^ 当時は近鉄百貨店枚方店として営業中だった。
- ^ 大垣支店は大垣市守屋多々志美術館として建物が残っているが、戦前に大垣貯蓄銀行の本店として建設された建物で、1943年に合併した大垣共立銀行がずっと保有している。
- ^ 現物では"展望臺"表記。
- ^ 業態転換後と異なり、催事場以外のコーナーはすべてレストランとなっていた。
- ^ 当店が閉店した時点では髙島屋京都店に屋上遊園地が残存していたが、2012年1月31日に営業を終了し、京都市内の百貨店から屋上遊園地は無くなっている。大丸京都店の屋上遊園地は当店の閉店が決定する前の2004年に撤去・緑化されていた。
- ^ 上本町店の中2階や当店の閉店から4年後に開業した博多阪急のM3階同様、このフロアが存在するのは階段の周辺に限られ、他のフロアより狭い。
- ^ 京都ヨドバシの開業後に再入居し、2021年まで存続していた。「プラッツ近鉄」開業時はパントリー(食品スーパー)。
- ^ 2005年(平成17年)3月31日にJR石山駅横に移転するまで、現在よりもギフトショップに近い位置にあった。
- ^ 市町村合併により、2006年以降の住所は大津市和邇南浜11-1となっている。
- ^ 当時の電話帳より
- ^ 都心の百貨店を利用する客が減り、百貨店のインターネット販売、あるいは1970年代~2000年代に開業した郊外百貨店から贈答品を送る者も多いほか、スーパーマーケットなど百貨店以外の店舗から贈答品を送る者も多い。また、百貨店のギフトをこれらの店が取り扱っている場合もある。たとえば、近鉄流通グループの近商ストアでは近鉄百貨店のギフトを扱っている。
- ^ 地方では相次ぐ百貨店の閉店に対応するため、新規開業することもある。例えば、かつて豊橋丸物や丸栄があった愛知県では松坂屋豊田店が閉店した跡地の一部に名古屋三越が「三越豊田」を開設したほか、以前から「エムアイプラザ」を常滑市と各務原市で営業している。
- ^ かつては湯浅町、田辺市、新宮市にも展開していた。詳細は近鉄百貨店和歌山店#サテライト店舗を参考のこと。
- ^ 京都タワー付近から移転した現在の所在地のこと
出典
- ^ 高度経済成長期の輸送力増強 近鉄資料館(近畿日本鉄道) 2021年9月27日閲覧
- ^ a b “京都近鉄百、店じまいセール――売り上げ2.2倍。”. 日経流通新聞 (日本経済新聞社): p. 5. (2000年2月1日)
- ^ (40年のあゆみ 1977, pp. 168)
- ^ a b c 中川, 祐希「国家儀礼を契機とした景観形成―近代期における京都駅前を事例として―」『人文学部研究論集』69(3)、一般社団法人 人文地理学会、2017年、373-394頁。
- ^ 末田, 智樹「昭和初期京都丸物の経営組織と販売術」『人文学部研究論集』第42巻、中部大学人文学部、2019年7月、148-97頁、NAID 120006718805。
- ^ 『株式会社設立五十周年記念社内誌』 P62
- ^ a b 『株式会社設立五十周年記念社内誌』 P63
- ^ a b c 『報道用資料「京都店売り尽くしセールの概要について」』(PDF)(プレスリリース)近鉄百貨店、2006年11月8日 。2021年10月20日閲覧。(ウェブ魚拓)
- ^ 高度経済成長期の輸送力増強 近鉄資料館(近畿日本鉄道) 2021年9月27日閲覧
- ^ (40年のあゆみ 1977, pp. 168)
- ^ a b c 流通研究グループ編、「近鉄百貨店グループ夢革命」、オーエス出版、1989年3月17日
- ^ a b c d 「近鉄百貨店京都店が閉店へ 土地・建物をヨドバシカメラに売却」 京都新聞電子版(京都新聞社)(2005年7月25日)
- ^ “目標売り上げ、120億円ほぼ達成 開店1周年 草津近鉄百貨店” 京都新聞(京都新聞社) (1998年9月6日)
- ^ 京都新聞(京都新聞社)(1997年9月12日)
- ^ 京都新聞(京都新聞社)(1997年9月18日)
- ^ a b 京都近鉄百貨店再生の新店名「プラッツ近鉄」に, 日本食糧新聞, (2000-03-08) 2021年10月20日閲覧。
- ^ 2000 沿革, 株式会社良品計画 2021年10月20日閲覧。
- ^ 京都近鉄百貨店、プラッツ近鉄改装開店, 日本食糧新聞, (2000-03-29) 2021年10月20日閲覧。
- ^ 京都近鉄百貨店、9月に近鉄商業開発を吸収合併, 日本食糧新聞, (2000-05-10) 2021年10月20日閲覧。
- ^ [京都店閉店に関するお知らせ https://www.d-kintetsu.co.jp/corporate/pdf/20050725183705.pdf]-株式会社近鉄百貨店(2005年7月25日)
- ^ (日本語) 近鉄百貨店 京都店(プラッツ) フロアガイド, 近鉄百貨店, オリジナルの2005年3月8日時点におけるアーカイブ。 2021年10月23日閲覧。
- ^ (日本語) 京都近鉄百貨店ホームページ, 京都近鉄百貨店, オリジナルの1997年8月17日時点におけるアーカイブ。 2021年11月12日閲覧。
- ^ 株式会社丸物 第17期営業報告書(昭和21年8月 - 昭和23年4月)
- ^ 87年間の、皆さまとの想い出を大切に(インターネット・アーカイブ)- プラッツ近鉄京都(近鉄百貨店)
- ^ 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 3号 近畿日本鉄道 2、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月29日、12-13頁。ISBN 978-4-02-340133-4。
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