行田足袋の生産数と生産額の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 02:53 UTC 版)
「行田足袋」の記事における「行田足袋の生産数と生産額の変遷」の解説
行田足袋 生産額と生産数の推移 年生産数量生産額1875年(明治8年) 202,350足 - 1885年(明治18年) 500,000足 31,500円 1892年(明治25年) 1,500,000足 103,000円 1895年(明治28年) 2,000,000足 200,000円 1897年(明治30年) 2,200,000足 242,000円 1898年(明治31年) 2,420,000足 266,200円 1899年(明治32年) 2,660,000足 310.900円 1900年(明治33年) 3,000,000足 396,000円 1901年(明治34年) 2,970,000足 386,100円 1902年(明治35年) 3,437,000足 395,255円 1903年(明治36年) 3,955,000足 462,735円 1904年(明治37年) 4,000,000足 472,000円 1905年(明治38年) 4,450,000足 556,250円 1906年(明治39年) 4,450,000足 556,250円 1907年(明治40年) 6,569,000足 1,155,000円 1908年(明治41年) 6,529,000 1,044,640円 1909年(明治42年) 8,075,000足 1,181,250円 1910年(明治43年) 8,047,000足 1,181,780円 1911年(明治44年) 8,550,000足 1,239,750円 1912年(大正元年) 10,245,000足 1,536,810円 1913年(大正2年) 12,650,000足 1,897,500円 1914年(大正3年) 13,160,000足 1,842,400円 1915年(大正4年) 14,160,000足 2,124,000円 1916年(大正5年) 18,025,800足 3,064,386円 1917年(大正6年) 32,727,000足 4,545,580円 1918年(大正7年) 26,110,000足 7,833,000円 1919年(大正8年) 31,200,000足 9,642,000円 1920年(大正9年) 16,873,000足 4,724,580円 1921年(大正10年) 21,935,550足 7,019,376円 1922年(大正11年) 31,200,000足 10,911,000円 1923年(大正12年) 24,960,000足 7,488,000円 1924年(大正13年) 37,500,000足 15,090,000円 1925年(大正14年) 43,125,000足 15,093,750円 1926年(昭和元年) 47,232,700足 13,193,380円 1927年(昭和2年) 48,638,000足 12,159,500円 1928年(昭和3年) 51,096,000足 12,767,475円 1929年(昭和4年) 45,960,000足 10,112,000円 1930年(昭和5年) 41,661,000足 7,503,780円 1931年(昭和6年) 47,910,100足 6,707,414円 1932年(昭和7年) 45,515,000足 7,055,000円 1933年(昭和8年) 47,610,000足 8,388,233円 1934年(昭和9年) 47,839,100足 8,850,233円 1935年(昭和10年) 48,428,000足 9,104,464円 1936年(昭和11年) 48,828,000足 9,374,976円 1937年(昭和12年) 57,808,000足 12,048,320円 1938年(昭和13年) 84,285,143足 28,398,215円 1939年(昭和14年) 73,198,616足 33,513,966円 1940年(昭和15年) 73,000,566足 42,480,138円 1941年(昭和16年) 17,603,000足 968,179円 1942年(昭和17年) 31,510,000足 1,788,050円 1943年(昭和18年) 30,564,000足 1,681,020円 1944年(昭和19年) 17,211,000足 1,290,740円 1945年(昭和20年) 15,772,000足 1,892,740円 1946年(昭和21年) 17,652,000足 7,743,400円 1947年(昭和22年) 10,348,000足 144,872,000円 1948年(昭和23年) 14,870,000足 743,500,000円 1949年(昭和24年) 21,645,000足 731,600,000円 1950年(昭和25年) 19,974,330足 2,036,634,000円 1951年(昭和26年) 41,766,000足 2,923,760,000円 1952年(昭和27年) 46,319,000足 3,142,892,000円 1953年(昭和28年) 50,815,000足 3,302,975,000円 1954年(昭和29年) 51,258,150足 3,160,429,000円 1955年(昭和30年) 50,734,000足 3,411,350,000円 1956年(昭和31年) 51,258,150足 3,485,554,200円 1957年(昭和32年) 36,440,089足 3,451,173,000円 1958年(昭和33年) 23,018,434足 1,539,001,000円 1959年(昭和34年) 17,033,417足 1,197,666,000円 1960年(昭和35年) 16,124,411足 1,366,991,000円 1961年(昭和36年) 15,540,000足 1,227,044,000円 1962年(昭和37年) 14,179,000足 1,311,171,000円 1963年(昭和38年) 12,841,000足 1,309,774,000円 1964年(昭和39年) 12,602,000足 1,241,458,000円 1965年(昭和40年) 13,083,000足 1,356,888,000円 1966年(昭和41年) 12,811,000足 1,414,167,000円 1967年(昭和42年) 13,016,000足 1,482,881,000円 1968年(昭和43年) 13,524,000足 1,565,205,000円 2004年(平成16年) 1,410,000足 - 行田足袋生産数量の変遷 1875年(明治8年) 20万2350足 1885年(明治18年) 50万0000足 1892年(明治25年) 150万0000足 1895年(明治28年) 200万0000足 1897年(明治30年) 220万0000足 1898年(明治31年) 242万0000足 1899年(明治32年) 266万0000足 1900年(明治33年) 300万0000足 1901年(明治34年) 297万0000足 1902年(明治35年) 343万7000足 1903年(明治36年) 395万5000足 1904年(明治37年) 400万0000足 1905年(明治38年) 445万0000足 1906年(明治39年) 445万0000足 1907年(明治40年) 656万9000足 1908年(明治41年) 652万9000足 1909年(明治42年) 807万5000足 1910年(明治43年) 804万7000足 1911年(明治44年) 855万0000足 1912年(大正元年) 1,024万5000足 1913年(大正2年) 1,265万0000足 1914年(大正3年) 1,316万0000足 1915年(大正4年) 1,416万0000足 1916年(大正5年) 1,802万5800足 1917年(大正6年) 3,272万7000足 1918年(大正7年) 2,611万0000足 1919年(大正8年) 2,410万5000足 1920年(大正9年) 1,687万3000足 1921年(大正10年) 2,193万5550足 1922年(大正11年) 3,120万0000足 1923年(大正12年) 2,496万0000足 1924年(大正13年) 3,750万0000足 1925年(大正14年) 4,312万5000足 1926年(昭和元年) 4,723万2700足 1927年(昭和2年) 4,863万8000足 1928年(昭和3年) 5,109万6000足 1929年(昭和4年) 4,596万0000足 1930年(昭和5年) 4,166万1000足 1931年(昭和6年) 4,791万0100足 1932年(昭和7年) 4,551万5000足 1933年(昭和8年) 4,761万0000足 1934年(昭和9年) 4,783万9100足 1935年(昭和10年) 4,842万8000足 1936年(昭和11年) 4,882万8000足 1937年(昭和12年) 5,780万8000足 1938年(昭和13年) 8,428万5143足 1939年(昭和14年) 7,319万8616足 1940年(昭和15年) 7,300万0566足 1941年(昭和16年) 1,760万3000足 1942年(昭和17年) 3,150万0000足 1943年(昭和18年) 3,056万4000足 1944年(昭和19年) 1,721万1000足 1945年(昭和20年) 1,577万2000足 1946年(昭和21年) 1,765万2000足 1947年(昭和22年) 1,034万8000足 1948年(昭和23年) 1,487万0000足 1949年(昭和24年) 2,164万5000足 1950年(昭和25年) 1,997万4330足 1951年(昭和26年) 4,176万6000足 1952年(昭和27年) 4,631万9000足 1953年(昭和28年) 5,081万5000足 1954年(昭和29年) 4,907万7000足 1955年(昭和30年) 5,073万4000足 1956年(昭和31年) 5,125万8150足 1957年(昭和32年) 3,644万0089足 1958年(昭和33年) 2,301万8434足 1959年(昭和34年) 1,703万3417足 1960年(昭和35年) 1,612万4411足 1961年(昭和36年) 1,554万0000足 1962年(昭和37年) 1,417万9000足 1963年(昭和38年) 1,284万1000足 1964年(昭和39年) 1,260万2000足 1965年(昭和40年) 1,308万3000足 1966年(昭和41年) 1,281万1000足 1967年(昭和42年) 1,301万6000足 1968年(昭和43年) 1,352万4000足 2004年(平成16年) 141万足 1875年(明治8年)から1968年(昭和43年)までの各年の生産数および生産額は、『行田足袋組合沿革史』及び『行田足袋工業百年の歩み』を原典とする。2000年代の数値は、NPO法人ぎょうだ足袋蔵ネットワークの調査による
※この「行田足袋の生産数と生産額の変遷」の解説は、「行田足袋」の解説の一部です。
「行田足袋の生産数と生産額の変遷」を含む「行田足袋」の記事については、「行田足袋」の概要を参照ください。
- 行田足袋の生産数と生産額の変遷のページへのリンク