聖書本文とは? わかりやすく解説

聖書本文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 03:28 UTC 版)

罪の女」の記事における「聖書本文」の解説

<7:36>さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事してほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席につかれた。<7:37>この町に一人罪深い女がいた。イエスファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り香油入った石膏の壺を持ってきて、 <7:38>後ろからイエス足もとに近寄り泣きながらその足を涙でぬらし始め自分髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻し香油塗った。 — ルカ7:36-38(新共同訳による)。 <7:36>あるパリサイ人イエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓着かれた。<7:37>するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓着いておられることを聞いて香油入れてある石膏のつぼを持ってきて、 <7:38>泣きながらイエスうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油塗った。 <7:39>イエス招いたパリサイ人がそれを見て心の中言った、「もしこの人預言者であるなら、自分さわっている女がだれだか、どんな女かかるはずだ。それは罪の女なのだから」。 <7:40>そこでイエス彼にむかって言われた、「シモンあなたに言うことがある」。彼は「先生おっしゃってくださいと言った。 <7:41>イエス言われた、「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリもうひとり五十デナリ借りていた。 <7:42>ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛すだろうか」。 <7:43>シモン答えて言った、「多くゆるしてもらったほうだと思います」。イエス言われた、「あなたの判断正しい」。 <7:44>それから女の方に振り向いてシモン言われた、「この女見ないか。わたしがあなたの家にはいってき時にあなたは足を洗うをくれなかった。ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。 <7:45>あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼女はわたしが家にはいった時から、わたしの足に接吻をしてやまなかった。 <7:46>あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、彼女はわたしの足に香油塗ってくれた。 <7:47>それであなたに言うが、この女多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。 <7:48>そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。 <7:49>すると同席の者たちが心の中言いはじめた、「罪をゆるすことさえするこの人は、いったい、何者だろう」。 <7:50>しかし、イエス女にむかって言われた、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。 — ルカ7:36-50 ルカによる福音書(口語訳)7:36

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 15:19 UTC 版)

十人の処女たちのたとえ」の記事における「聖書本文」の解説

「このとき天國は、燈火執り新郎を迎へに出づる、十人處女比ふべし。その中の五人愚にして五人は慧し。愚なる者は燈火をとりて油を携へず、慧きものは油を器に入れて燈火とともに携へたり新郎遲かりしかば、皆まどろみ寢ぬ夜半に「やよ、新郎なるぞ、出で迎へよ」と呼はる聲す。ここに處女みな起きてその燈火整へたるに、愚なる者は慧きものに言ふ「なんぢらの油を分けあたへよ、我ら燈火きゆるなり」慧きもの答へ言ふ恐らくは我ら汝らとに足るまじ、寧ろ賣るもの往き己がために買へ」彼ら買はんとて往きたる間に新郎きたりたれば、備へをりし者どもは彼とともに婚筵にいり、而して門は閉されたりその後かの他の處女ども來りて「主よ、主よ、われらの爲にひらき給へ」と言ひしに、答へて「まことに汝ら告ぐ、我は汝ら知らず」と言へり。されば目を覺しをれ、汝ら其の日その時を知らざるなり。」 — マタイ25:1-25:13文語訳聖書 そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿迎え出て行くのに似ている。その中の五人思慮浅く五人思慮深いであった思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に入れもの中に油を用意していた。花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。そのときおとめたちはみな起きてそれぞれあかりを整えた。ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たち言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてくださいわたしたちのあかりが消えかかってますから』。すると、思慮深い女たち答えて言った、『わたしたちあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行ってあなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。彼らが買いに出ているうちに、花婿着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様ご主人様、どうぞ、あけてくださいと言った。しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがた知らないと言った。だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。 — マタイによる福音書25章1節から13節(口語訳)

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異邦人の時」の記事における「聖書本文」の解説

彼らは劍の刃に斃れ、又は捕はれて諸國に曳かれん。而してエルサレム異邦人の時滿つるまで、異邦人蹂躙らるべし。 — ルカ傳福音書21:24文語訳聖書 彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう。 — ルカによる福音書21:24口語訳聖書

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銀貨を無くした女のたとえ」の記事における「聖書本文」の解説

また、ある女が銀貨持っていて、もしその一枚なくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。そして、見つけたなら、女友だち近所女たち呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでくださいなくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。 よく聞きなさい。それと同じように、罪人ひとりで悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。 — ルカの福音書 15:8 - 10口語訳聖書

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実のならないいちじくの木のたとえ」の記事における「聖書本文」の解説

<13:6>それから、この譬を語られた、「ある人が自分のぶどう園にいちじくの木を植えて置いたので、実を捜しにきたが見つからなかった。<13:7>そこで園丁言った、『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだにあたらない。その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』。 <13:8>すると園丁答えて言った、『ご主人様ことしもそのままにして置いてください。そのまわり掘って肥料をやって見ますから。 <13:9>それで来年がなりました結構ですもしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。 — ルカによる福音書 13:6-9口語訳聖書

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/24 02:32 UTC 版)

ぶどう園と農夫のたとえ」の記事における「聖書本文」の解説

<21:33>もう一つの譬を聞きなさい。ある所に、ひとりの家の主人がいたが、ぶどう園造り、かきをめぐらし、その中に酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。<21:34>収穫季節がきたので、その分け前を受け取ろうとして、僕たちを農夫ところへ送った。 <21:35>すると、農夫たちは、その僕たちをつかまえて、ひとりを袋だたきにし、ひとりを殺しもうひとりを石で打ち殺した。 <21:36>また別に、前よりも多くの僕たちを送ったが、彼らをも同じようあしらった。 <21:37>しかし、最後に、わたしの子敬ってくれるだろうと思って主人その子を彼らの所につかわした。 <21:38>すると農夫たちは、その子見て互に言った、『あれはあと取りだ。さあ、これを殺して、その財産手に入れよう』。 <21:39>そして彼をつかまえてぶどう園の外に引き出して殺した。 <21:40>このぶどう園の主人帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」。 <21:41>彼らはイエス言った、「悪人どもを、皆殺しにして、季節ごとに収穫納めるほかの農夫たちに、そのぶどう園を貸し与えでしょう」。 <21:42>イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだとがないのか、『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』。 <21:43>それだからあなたがたに言うが、神の国あなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人与えられるであろう。 <21:44>またその石の上落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上落ちかかるなら、その人こなみじんにされるであろう」。 <21:45>祭司長たちやパリサイ人たちがこの譬を聞いたとき、自分たちのことをさして言っておられることを悟ったので、 <21:46>イエスを捕えようとしたが、群衆恐れた群衆イエス預言者だと思っていたからである。 — マタイによる福音書 21:33 - 46口語訳聖書

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/24 02:49 UTC 版)

ふたりの息子のたとえ」の記事における「聖書本文」の解説

<21:28>あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園行って働いてくれ』。<21:29>すると彼は『おとうさん参ります』と答えたが、行かなかった。 <21:30>また弟のところにきて同じよう言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。 <21:31>このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエス言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。 <21:32>というのは、ヨハネあなたがたところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じたあなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。 — マタイによる福音書 21:28 - 32口語訳聖書

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 14:32 UTC 版)

善きサマリア人のたとえ」の記事における「聖書本文」の解説

<10:25>するとそこへ、ある律法学者現れイエス試みようとして言った、「先生何をしたら永遠の生命受けられましょうか」。<10:26>彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。 <10:27>彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いつくして主なるあなたの神を愛せよ』。また、自分愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。 <10:28>彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。 <10:29>すると彼は自分立場弁護しようと思ってイエス言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。 <10:30>イエス答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコ下って行く途中強盗どもが彼を襲い、その着物はぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。 <10:31>するとたまたま、ひとりの祭司その道下ってきたが、この人を見ると、向こう側通って行った。 <10:32>同様にレビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側通って行った。 <10:33>ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人ところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、 <10:34>近寄ってきてその傷にオリブ油ぶどう酒とを注いでほうたいしてやり自分の家畜に乗せ宿屋に連れて行って介抱した。 <10:35>翌日デナリ二つ取り出して宿屋主人手渡し、『この人を見てやってください費用よけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払いますと言った。 <10:36>この三人のうち、だれが強盗襲われた人の隣りになったと思うか」。 <10:37>彼が言った、「その人慈悲深い行いをした人です」。そこでイエス言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。 — ルカの福音書 10:25 - 37口語訳聖書

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 18:08 UTC 版)

金持ちとラザロ」の記事における「聖書本文」の解説

ある金持がいた。彼は紫の衣や細布着て毎日ぜいたくに遊び暮していた。ところが、ラザロという貧乏人全身でき物おおわれて、この金持玄関前にすわり、 その食卓から落ちるもので飢えしのごう望んでいた。その上がきて彼のでき物をなめていた。 この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムふところ送られた。金持死んで葬られた。 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。 そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでくださいラザロをおつかわしになって、その指先でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。 アブラハム言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められあなたは苦しみもだえている。 そればかりかわたしたちあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろう思ってできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。 そこで金持言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロつかわしください。 わたしに五人兄弟がいますので、こんな苦し所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。 アブラハム言った、『彼らにはモーセ預言者とがある。それに聞くよかろう』。 金持言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。 アブラハム言った、『もし彼らがモーセ預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧め聞き入れはしないであろう』」。 — ルカ 16:19 - 31口語訳聖書

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/23 01:31 UTC 版)

七つの時」の記事における「聖書本文」の解説

わたしが床にあって見た脳中の幻はこれである。わたしが見たのに、地の中央一本の木があって、そのたけが高かったが、その木は成長して強くなり、天に達するほどの高さになって地の果まで見えわたり、その美しくその実は豊かで、すべての者がその中から食物を獲、また野のはその陰にやどり、空のはそのにすみ、すべての肉なる者はこれによって養われた。わたしが床にあって見た脳中の幻の中に、ひとりの警護者、ひとりの聖者天から下るのを見たが、彼は声高く呼ばわって、こう言った、『この木を切り倒し、そのを切りはらい、そのをゆり落しその実打ち散らしをその下から逃げ去らせ、をそのから飛び去らせよ。ただしその根の切り株を地に残し、それに青銅のなわをかけて、野の若草の中におき、天からくだる露にぬれさせ、また地のの中で、と共にその分にあずからせよ。またその心は変って人間の心のようでなく、の心が与えられて、七つの時を過ごさせよ。この宣言警護者たちの命令よるもの、この決定聖者たちの言葉よるもので、いと高き者が、人間の国を治めて自分意のままにこれを人に与え、また人のうちの最も卑しい者を、その上に立てられるという事を、すべての者に知らせるためである』と。 — ダニエル書4:10-17、口語訳聖書

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 05:46 UTC 版)

毒麦のたとえ」の記事における「聖書本文」の解説

マタイによる福音書」のたとえ話 また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなのである人々眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去ったがはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦あらわれてきた。僕たちがきて、家の主人言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。主人言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。彼は言った、『いや、毒麦集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。 — マタイによる福音書13:2430(口語訳) マタイによる福音書終末論的解釈 それからイエスは、群衆をあとに残して家にはいられた。すると弟子たちは、みもとにきて言った、「畑の毒麦の譬を説明してください」。イエス答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。畑は世界である。良いと言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。だから、毒麦集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう人の子はその使たちをつかわしつまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろうそのとき義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。 — マタイによる福音書13:3643(口語訳) 外典トマスによる福音書」のたとえ話 イエス言われた。「父の王国良い種を持つ人のようだ夜に敵がやってきて良い種のあいだに雑草の種をまいた。彼は人々雑草ひき抜くことを許さなかった。彼は人々にこう語った。「あなた方雑草をひき抜きにいって、それとともに小麦をも一緒に引き抜いてしまう恐れがあるからだ」。収穫の日には雑草明らかに目に見えるのであるから、それらは引き抜かれ焼かれるだろう。 — トマスによる福音書

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