第七洞窟の断片とキリスト教由来説
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「死海文書」の記事における「第七洞窟の断片とキリスト教由来説」の解説
1972年、スペインのイエズス会士ヨセフ・オキャラハン (Josep O'Callaghan-Martínez) は第七洞窟から発見されたギリシア語の写本断片を新約聖書の一部であるという説を発表した。これはコンピュータによる本文検索システムによる参照によって、旧約聖書本文では比定不可能であった当該パピルス片を新約本文と対照することで偶然発見に至ったものである。しかし当初、ほとんどの死海文書の研究家たちは「あまりに断片の文章が短すぎて判断できない」として即座にこれに反論した。1980年にはアメリカのロバート・アイゼンマン (Robert Eisenman) がさらにその説を進めて、死海文書は初期キリスト教徒の手によるものであるという説を唱えた。アイゼンマンは死海文書の言及する「義の教師」とはイエス亡きあとのエルサレムのキリスト教徒を率いた大ヤコブのことであり、「悪の祭司」とはパウロのことであるとする。カール・ポパーは「断片7Q5とマルコによる福音書六章52-53節を同一と見なすことが、ただ一つ可能なものである」と、ドイツのカトリック学者フェルディナンド・ロールヒルシュの本件についての主張を支持している。
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