聖書批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 05:35 UTC 版)
このような矛盾を解決する直接的な動きは聖書の文献批判によってまずおこなわれた。とくにモーセ自身が書いたものと思われていた「モーセ五書」に対する批判的検討が進み、ホッブズ・ラ・ペレール・スピノザによってモーセ五書が後世の時代にモーセにさかのぼって記述されたものであることが明らかにされた。さらに1711年にはドイツの牧師ヴィッターによって、1753年にはジャン・アストリュックによって、聖書の記述主体として2つの人間集団が想定されることが明らかにされた。具体的には聖書内において神の呼称は「ヤーヴェ」と「エロヒム」として現れるが、これをそれぞれの使用例ごとに分割すると、それぞれ一貫した文書となることが判明した。これにより聖書内の記述の重複、いわゆる「ダブレット」の問題も合理的に説明可能となり、聖書批判は大きく前進した。
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