宗教観と哲学観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 01:52 UTC 版)
「エイブラハム・リンカーン」の記事における「宗教観と哲学観」の解説
学者たちはリンカーンの信仰と哲学について広範な話題を記してきた。たとえば、リンカーンがしばしば宗教的なイメージや言葉を用いたのはその個人的信仰を反映したのか、あるいは聴衆に対するアピールの道具だったのか、である。彼は聖書批判の論文を記したことがあり、無宗派を生涯貫いたが、聖書には親しみ、そこから多くを引用し、内容を賞賛した。 1840年代、リンカーンは「宿命論」を信じた。これは人の心は高い力によって制御されることを主張する信念だった。学者の中には1850年代にリンカーンが一般的方法における「神の摂理」を認め、福音主義の言葉やイメージをめったに使わなかったと主張する者がいる。その代わりに建国の父達の共和制をほとんど宗教的な畏敬の対象にした。また歴史家の中には息子のエドワードに死なれたとき(1850年)、神に縋る必要性をより多く認めたとする者もいる。 リンカーンが年を取るにつれて、人との関わりがその信条や公の表現に影響を与えるようになったのは神の意思という観念であった可能性がある。個人レベルでは1862年2月に息子ウィリーが死んだことが答や慰めを求めて宗教に傾かせた可能性がある。ウィリーの死後、1862年夏あるいは秋に、リンカーンは神の見地から戦争の厳しさが必要である理由について個人の考えを文書に記そうとした。このとき、「神は人間の争いなしに連邦を救い、あるいは破壊できただろう。しかし争いが始まった。始まってしまえば、神はいつかはどちらかに勝利をもたらす。しかし、戦いは進んでいる」と記した。1864年4月、奴隷解放を検討する中でリンカーンは「私は事態を制御していなかったと主張するが、事態は私を制御していたと明白に白状する。今、3年間の闘争の果てに、この国の状態はどちらの側も、あるいはいかなる人も考えあるいは予測したものではない。神のみがそれを主張できる。」と記していた。 なお、リンカーンは、どの宗教を信仰しているかを公表していない。自らの信仰を公表しなかったアメリカ大統領は、数人のみである。
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