啓蒙主義の歴史記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/19 15:21 UTC 版)
啓蒙主義の歴史記述(けいもうしゅぎのれきしきじゅつ)では、啓蒙時代の歴史記述について解説する。
- ^ モンテスキューは悪徳を犯した皇帝がしばしば偉大な軍事的成功を収めていると述べている。たとえばユスティニアヌス、老アンドロニクス・コムネヌスなどを例にあげ、これらの皇帝は徳性において恵まれていないにもかかわらず、時代状況によって幸運にも業績を残すことができたという。
- ^ たとえば普遍史の古代における代表的論者アウグスティヌスは、モンテスキューとは正反対に道徳的退廃をローマ帝国の衰退理由としている。
- ^ ローマ帝国では313年以降15年を単位として財産評価が行われ、年号の表記にも取り入れられた。これがインディクティオである。
- ^ ペダヴィウス以前にも歴史記述で補助年代としてイエス生誕を基準とした年代記述はなされていたが、彼は合理的にその意義を主張したという点で科学的であるとされる。
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「啓蒙主義の歴史記述」の続きの解説一覧
- 1 啓蒙主義の歴史記述とは
- 2 啓蒙主義の歴史記述の概要
- 3 啓蒙主義的歴史研究の限界
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