ヨハネ文書
ヨハネ文書の著者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 10:04 UTC 版)
『ヨハネの黙示録』が序文でヨハネを名乗っているほかは、これらの本文中に著者の名前は記載されていない。伝統的にこれらの文書はいずれも使徒ヨハネに由来するものとされてきた。しかし、使徒ヨハネ自身がすべてを書いたと考えられていたわけでもない。すでに伝承も、『ヨハネの福音書』は口述によるもので弟子プロクルスの筆録になると考えていた。 4-5世紀の神学者ヒエロニムスらは、使徒ヨハネとは別人の長老ヨハネが『ヨハネの手紙二』と『ヨハネの手紙三』を書いたとの見解を示した。ただし D. A Carson は語彙、構造、文体において『ヨハネの手紙一』『ヨハネの手紙二』『ヨハネの手紙三』はいずれも『ヨハネの福音書』と非常に似ていることを指摘している。 また、『ヨハネの黙示録』の正統性も長く議論になってきた。『ヨハネの黙示録』は他のヨハネ文書と文体上の特徴を共有しないため、筆者を異にする可能性は、筆者を同一とする見方とともに長く古代教会のなかに存し、両陣営の間にたびたび議論が行われた。エウセビオスは『教会史』に「使徒ヨハネとは異なる別のヨハネ」を黙示録の筆者とする議論を収録している。2世紀の神学者ユスティノスを始めとして、紀元200年前後の神学者たち(リヨンのエイレナイオス、アレクサンドリアのクレメンス、テルトゥリアヌス、キプリアヌス、ヒッポリュトス)は黙示録を使徒ヨハネに帰するのに対し、3世紀半ばのアレクサンドリアのディオニシウスや、エウセビオスが異議を唱えている。 高等批評の影響下にある今日の近代聖書学の大勢は、ヨハネ文書のいずれも使徒ヨハネ自身が書いたものでは無いと考えている。しかし、聖書批判学者の間でも、それぞれの著者の帰着は議論の一致を見ていない。 3人の著者を想定する例を挙げる。 『ヨハネによる福音書』と『ヨハネの手紙一』の著者 『ヨハネの手紙二』と『ヨハネの手紙三』の著者 『ヨハネの黙示録』の著者 『ヨハネによる福音書』は原作者のほかに大きな加筆、編集を加えたものとして、これだけで3人の記者を想定する説もある。詳しくは『ヨハネによる福音書』の項を参照のこと。 それぞれの著者が誰であるかはともかく、これら文書の思想的な共通点から、キリスト教団内の一定のグループがこれらヨハネ文書を作り出したとする考え方が主流である。このグループをヨハネ教団と呼ぶ。 『ヨハネの黙示録』に限っては、他と異なる終末思想を提示しているとの指摘がある。
※この「ヨハネ文書の著者」の解説は、「ヨハネ文書」の解説の一部です。
「ヨハネ文書の著者」を含む「ヨハネ文書」の記事については、「ヨハネ文書」の概要を参照ください。
- ヨハネ文書の著者のページへのリンク