長老ヨハネ
長老ヨハネ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 06:21 UTC 版)
詳細は「長老ヨハネ」を参照 第二書・第三書の著者としては、古来、「長老ヨハネ」の名も挙がっている。長老ヨハネへの言及は2世紀のパピアス(英語版)に遡る。パピアス自身の著書『主の言葉の説明』全5巻(130年 - 140年頃)は現存しないが、何人かの著書によって逸文が残されている。長老ヨハネへの言及は、エウセビオスが伝えている。 わたしは、誰か長老たちにつき従った人が来たときには、長老たちの言葉を詳しく調べた。つまり、アンドレが、ペテロが、ピリポが、トマスが、ヤコブが、ヨハネが、マタイが、あるいは主の弟子たちの他の誰かが何を言ったか、また、主の弟子であるアリスティオンと長老ヨハネとが語っていることを(調べたのであった)。 — パピアス断片、エウセビオス『教会史』所収の逸文 エウセビオスもこの引用の後に指摘しているように、ここには、他の使徒とともに列挙されているヨハネとは別に「長老ヨハネ」に言及している。ヒエロニムスは、その「長老ヨハネ」が第二書・第三書を執筆したという説に触れている。こうした見解はローマ教皇ゲラシウス1世(在位492年 - 495年)の名を冠した「ゲラシウスの教令」(実際の成立は6世紀と推定)所収の正典目録においても示されているが、これは教皇ダマスス1世の時のローマ教会会議(382年)の決定を伝えているとされる。 ただしパピアス自身は前半で言及している「主の弟子」たちのことも「長老たち」と呼び、「長老ヨハネ」についても「アリスティオンと長老ヨハネ、すなわち主の弟子たち」と言及するため、二度のヨハネの言及の際に明確に呼称を変えているわけではない。また、前半と後半は時制が異なるため、前半に言及される「かつて語った」使徒たちのうちパピアスのころにまだ「語っている」使徒がヨハネだけであったなどの可能性もあり、この断片だけでは長老ヨハネが使徒ヨハネと他に実在する証拠としては不足している。 現代では第二書・第三書にとどまらず、3書簡全てを長老ヨハネに帰する見解を中村和夫やシュナイダーが示しており、『旧約新約聖書大事典』でも同様の見解が採られているが、前述のようにこの人物についての証言は乏しく、結びつけるための明瞭な根拠があるわけではない。福音派のジョン・ストットは長老ヨハネとする説を批判し、パピアス断片を引用したエウセビオス自身が、パピアスの知性や教養に対する否定的評価を述べていたことを引き合いに出し、乏しい言及から二人のヨハネを見出すことの妥当性に疑問を呈するとともに、特に福音書と3書簡をすべて長老ヨハネに帰する場合、それほどの影響力を持った人物がパピアスの一言以外に記録が残っていないことの不自然さを指摘した。また、ストットは、古代において長老ヨハネ説がしばしば受け入れられた背景として、ヨハネ文書の中で異質なヨハネの黙示録を除外したいという動機から、使徒以外のヨハネを探していた論者たちがいたことにも触れている。
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