ゲラシウス1世 (ローマ教皇)
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ゲラシウス1世 | |
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第49代 ローマ教皇 | |
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教皇就任 | 492年3月1日 |
教皇離任 | 496年11月21日 |
先代 | フェリクス3世 |
次代 | アナスタシウス2世 |
個人情報 | |
死去 | 496年11月21日 東ゴート王国、ローマ |
その他のゲラシウス |
ゲラシウス1世(Gelasius I, ? - 496年11月21日)は、第49代ローマ教皇(在位:492年 - 496年)。
カトリック教会で3人目のアフリカ(カビリア)出身の教皇であり、史上初の黒人教皇だったとする見方もあるが、証明はされていない。前任者のフェリクス3世に直接教皇文書の作成のために雇われた。
世界を支配する最高の地位は司教の権威と皇帝の権力であるとする、いわゆる「両剣論」を示した。ゲラシウスによれば、両権力は並立・補完しあうものであるが、司教の権威がより上位にあるとされる。
ゲラシウス1世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 03:24 UTC 版)
ゲラシウス1世は494年に東ローマ皇帝アナスタシウス1世へ宛てた書簡で、この世を統治する二つのものとして「司祭の聖なる権威と王の権力」があると説いた。 教皇ゲラシウス1世は俗権と教権がともに神に由来すると述べ、聖界の普遍的支配者としての教皇と俗界の普遍的支配者としての皇帝が並列的に存在していることを論じた。ただしゲラシウス1世は一方で教権が帝権の上位にあることを論じているから、俗権と教権は完全に並列的であると考えられていたわけではない。彼によれば、「政治的支配をする」王は「権力」 (potestas) を持つのに対し、教皇は権威 (auctoritas) を持っているのだが、後者こそが完全な主権なのである。。この両剣論はその本来的な意図においては教権と帝権の相補的役割を期待したものであった。
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