11-13世紀とは? わかりやすく解説

11-13世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 03:24 UTC 版)

両剣論」の記事における「11-13世紀」の解説

11世紀にはペトルス・ダミアニが、聖書弟子たち言った。『主よ、剣なら、このとおりここに二振りありますイエス言われた。『それでよい』ラテン語:at illi dixerunt Domine ecce gladii duo hic at ille dixit eis satis est — ルカによる福音書22-38 という聖句での「二振りの剣」に初め当てはめて考察し両剣論補強したこの他教会法では聖書カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい にも基づいた12世紀になると1140年頃に教会法学ヨハンネス・グラティアヌス編纂したグラティアヌス教令集』(Decretum Gratiani)に「祭司は王と君侯の父であり師である」「皇帝司祭先んじるのでなく、従わねばならない」と説かれたり、グレゴリウス7世引用したゲラシウス1世書簡両剣論参考にした。 初期には聖俗二つ権力分離性協調性説かれたが、13世紀には教会優位両剣論説かれ1302年教皇ボニファティウス8世出した教皇勅書ウナム・サンクタム』では教皇権至上性が説かれた。13世紀以前には教会権力霊魂救済関わるもので、世俗的な統治権 (potestas) ではなく崇高な権威 (auctoritas) とされていた。しかし13世紀には教皇権力は「まったき権力」(plenitudo potestatis)とされ、万人への裁判権有する説かれるようになった中世になると、両剣論には二つ異な立場から相反する解釈おこなわれたゲラシウスの定義は俗教権の間に明確な境界線引かれるべきことを述べているが、それがどこに引かれるべきか曖昧で、ゲラシウス教説教皇側を支持する側から皇帝側を支持する側からも、その論拠として用いられた。 皇帝有利な解釈では、帝権直接神に由来することは世俗的世界で皇帝自立性根拠となった教権有利な解釈では、教皇両剣持ち一方世俗的な剣を皇帝委任して行使させるという解釈となったレオ3世ラテラノ大聖堂取り付けさせたモザイク画では、最初ローマ司教(のちのローマ教皇)となりローマで殉教した使徒ペトロ教皇パリウムを、皇帝与えている。『シュヴァーベンシュピーゲル』には「主は両剣ペトロ委ねた。ゆえにその後継者である教皇が自ら教会の剣を行使し皇帝世俗の剣を与える」とある。 歴史的には、グレゴリウス改革以前11世紀の頃には聖職叙任権も、ときには教皇叙任権さえ神聖ローマ皇帝が「神の代理」として掌握しているというのが実情であった

※この「11-13世紀」の解説は、「両剣論」の解説の一部です。
「11-13世紀」を含む「両剣論」の記事については、「両剣論」の概要を参照ください。

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