西ローマ帝国とその周辺
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ヒエロニムス(340年頃 - 420年)- キリスト教神学者・聖書(ウルガタ)の翻訳者。ローマ教皇ダマスス1世に近侍。 プルデンティウス(348年 - 405年以降) - キリスト教ラテン詩人・「プシュコマキア(魂の闘い)」「シュンマクス駁論」などの詩がある。 ホノラトゥス(350年頃 - 429年) - ガリアのアルル大司教・東方修道制を手本にレランス修道院を設立。 ノラのパウリヌス(353年頃 - 431年) - イタリアのノラ司教・元老院議員・詩人として『歌謡三一』などの作がある。 アウグスティヌス(354年 - 430年)- キリスト教神学者・北アフリカのヒッポ司教・著作に『告白』『神の国』がある。 ペラギウス(354年 - 420年/440年) - キリスト教神学者・その主張は異端とされる(ペラギウス主義)。 オロシウス(生没年不詳)- イベリア出身の司祭・キリスト教神学者・アウグスティヌスの弟子・歴史書『異教徒に反論する歴史』を執筆。 マクロビウス(生没年不詳) - ローマの著述家。『「スキピオの夢」注釈』や『サトゥルナリア』のほか著作を残す。 マルティアヌス・カペラ(365年 - 440年)- ローマの著述家。著作に自由七学芸を選別した『文献学とメルクリウスの結婚』がある。 フラウィウス・スティリコ(365年 - 408年) - 西ローマ帝国の将軍・西ゴート族を締め出し帝国の維持に奔走・皇帝の命で暗殺される。 パトリキウス(387年? - 461年) - アイルランドで宣教した司教。もとはウェールズ出身のケルト人。「アイルランドの使徒」と呼ばれる。 ガッラ・プラキディア(390年頃 - 450年) - 西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世の母・ラヴェンナのガッラ・プラキディア廟堂を建立。 レオ1世(390年 - 461年) - ローマ教皇(在位440年 - 461年)。マントヴァの会見でアッティラのイタリア侵攻を制止。 フラウィウス・アエティウス(391年頃 - 454年) - 西ローマ帝国の将軍・パトリキ・カタラウヌムの戦いでフン族に勝利するが暗殺される。 サルウィアヌス(400年頃 - 470年/480年) - ガリア出身の司祭・キリスト教神学者・『神の支配について』を執筆。 リキメル(405年? - 472年)- 西ローマ帝国のゲルマン系将軍・パトリキ・最末期の西ローマ皇帝を改廃する。 ゲノフェーファ(ジュヌヴィエーヴ)(419年/422年 - 502年/512年) - ガリアの修道女・フン族の攻撃からパリを守った聖女とされる。 シドニウス・アポリナリス(431年頃 - 489年) - トゥール司教。末期ラテン語詩人を代表し「書簡」や「頌詩」を残す。 ゲラシウス1世(? - 496年) - ローマ教皇(在位492年 - 496年)。皇帝アナスタシウス1世宛書簡で聖俗並立の「両剣論」を唱える。 ロムルス・アウグストゥルス(460年 - 511年以降) - 西ローマ帝国最後の皇帝(在位475年 - 476年)。オドアケルに廃位され追放される。 アンブロシウス・アウレリアヌス(5世紀後半) - ブリトン人指導者・アングロ・サクソン人と戦いアーサー王伝説の原型となったと言われる。
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