西ローマ帝国の皇帝へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 14:27 UTC 版)
ホノリウスは東方正帝テオドシウス1世の次男として、彼の最初の妻アエリア・フラキアとの間に生まれた。彼は2歳で東ローマ帝国のコンスルに任命された。 392年に西方正帝ウァレンティニアヌス2世が死亡すると、西ローマ帝国では元老院議員のエウゲニウスが次の皇帝として推戴された。これに対してテオドシウスは393年に9歳の息子ホノリウスを「アウグストゥス」(すなわち西方正帝)であると宣言して西ローマ帝国へ侵攻、394年にフリギドゥスの戦いでエウゲニウスらを破って西ローマ帝国の首都メディオラヌム(現在のミラノ)を占領した。
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