西ルメリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/08 07:22 UTC 版)
「フェヴズィ・チャクマク」の記事における「西ルメリア」の解説
1899年4月11日、メトロヴィチャ (ミトロヴィツァ)駐留の第18師団の参謀となり、1908年12月29日、タシュルジャ郡 (プリェヴリャ)の知事と司令官を兼務する形で第35旅団長に任命された。1910年1月19日、旅団長たるには階級が低いとの理由で予備役とされた。同年4月27日、タシュルジャ郡長兼混成コソヴァ軍団司令部に配属され、7月27日に同軍団参謀長に任命された。1911年1月15日、参謀本部第5課長に任命され、10月2日にはイシュコドラ (シュコドラ)にいた際に西ルメリアをイタリアから防衛するために編成された西部軍司令部の隷下に入れられ、10月6日にイペキ・サンジャク (ペヤ)の知事に任命されたが、10月19日、イスタンブールに送られ参謀本部での任務に戻った。1912年2月11日、アルバニアとルメリア3県 (Vilâyat-ı Selâse: サロニカ、モナスティル、コソヴォの3県)の改革決定を履行するため内務大臣ハジュ・アーディル・ベイを主席として組織された委員会の委員を務め、5月9日、宰相府に新設される書記局に配属された。7月3日、ヤコヴァ (ジャコヴィツァ)駐留の第21師団長代理に、8月6日にはコソヴァ総軍参謀長に任命された。
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