西ヨーロッパ・南ヨーロッパ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:19 UTC 版)
「世界金融危機 (2007年-2010年)」の記事における「西ヨーロッパ・南ヨーロッパ」の解説
前述のようにヨーロッパの金融機関はサブプライムローンに深く関わっていた。2007年下半期からドイツ、イギリス、フランス、スイス、ベネルクスの銀行は損失によって貸出を減らし、G7の核をなすメガバンクの自己資本利益率が低迷した。 2007年には影響が出ていたにも関わらず、ヨーロッパ諸国の政治家は2008年8月頃まで金融危機をアメリカの国内問題と解釈していた。さらに、ヨーロッパはアメリカよりも損失が軽いので各国の対応で解決できると考えた。これに対してオランダのヤン・ペーター・バルケネンデ政権は2008年9月に銀行救済基金を提案し、欧州の全国家がGDPの3%を使った基金の設立を訴えた。オランダ政府の提案はフランスの賛同を得て、クリスティーヌ・ラガルド財務相は共同対策を主張した。しかしドイツやヨーロッパ中央銀行(ECB)の賛同を得られず、共同対策は実現しなかった。危機の悪化によって、銀行に巨額の資本注入を行う結果となった。
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