危機の前兆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:19 UTC 版)
「世界金融危機 (2007年-2010年)」の記事における「危機の前兆」の解説
識者の指摘 サブプライムローンは借り換え期の4年目以降に急激に金利が上昇するため、当初から危険性は指摘されていた。バブル経済の研究で知られるチャールズ・キンドルバーガーは、晩年は不動産市場に注目していた。2002年のウォールストリートジャーナルのインタビューで、キンドルバーガーは銀行がそろって住宅担保ローンを売ろうとしており、危険な兆候だと語った。 ラグラム・ラジャンは、規制緩和や証券化によって金融機関のリスクが上昇し、また複雑化しているという事実に気づいた。ラジャンは研究の成果を「金融の発展は世界をよりリスキーにしたか?」という論文にまとめ、2005年のジャクソンホール会議(英語版)で発表したが、多くの聴衆には支持されなかった。他にも懸念を表明するエコノミストがいたが、状況を変えるにはいたらなかった。 連邦倒産法(破産法)の専門家であるエリザベス・ウォーレンは金融機関の搾取的な貸付を研究しており、上院議員のバラク・オバマは2004年からウォーレンの研究に注目する。ウォーレンは住宅ローンの危険性を指摘し、消費者保護のために消費者金融庁の設立を提案し、のちにオバマ政権に参加することになる(#アメリカを参照)。 住宅価格の低下 ブーム3年目にかかる2006年1月頃から住宅価格のかげりが見え始め、不動産担保証券の貸し倒れリスクが注目され始めた。サブプライムローンの債務者の一部は住宅価格の上昇を見込んだ返済計画を建てていたため、住宅価格低下の影響で利払い延滞率が急増した。債務者の延滞が顕著になると、サブプライムローンの直接の貸し手である住宅金融専門会社に対する金融機関の融資が慎重になり、住宅金融専門会社では資金繰りが悪化して経営破綻が出始めた。サブプライムローンは貸し倒れの危険を分散させるために分割・証券化されて金融商品に組み入れられていたため、金融商品そのものに対する信用リスクが連鎖的に広がった。リスクを警戒し、2006年から住宅ローン売買を減らした投資銀行もあったが問題の解決にはならなかった。 ヨーロッパの状況 サブプライムローンの証券化はアメリカ国外から資本を集めることを目的としており、ヨーロッパの金融機関が関わっていた。2000年代にヨーロッパ系銀行の国際業務は拡大し、ドルで借りてドルで運用する取引が8兆ドルを越えた。この取引でドルの資金調達のリスクを抱えることになった。ヨーロッパ系銀行は2006年には新規の不動産担保証券(MBS)の30%を裏づけをしており、アメリカに現地法人を設立をしてサプライチェーンを一体化していた(#西ヨーロッパ・南ヨーロッパも参照)。
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