西ルイジアナの作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/08 00:18 UTC 版)
「南部沿岸戦線 (南北戦争)」の記事における「西ルイジアナの作戦」の解説
北軍ナサニエル・バンクス少将が1862年暮れにメキシコ湾方面軍を任され、ユリシーズ・グラント少将がミシシッピ川の上流にあるビックスバーグを攻めるのに連動して、その下流のルイジアナ州ポートハドソン攻撃を命じられた。ニューオーリンズを発ったバンクス軍を遮ったのは南軍のリチャード・テイラー少将が指揮する小規模な西ルイジアナ軍だった。1863年4月12日、ビスランド砦に篭った南軍と北軍が交戦を始め、戦いは翌日暗くなるまで続いた。テイラーは北軍の別働隊が背後から迫っていることを感知し、砦を放棄して撤退した(ビスランド砦の戦い)。 翌4月14日、テイラーの軍は北軍の別働隊と遭遇して、アイリッシュベンドの戦いが始まった。テイラーは砲艦の援護も得たが、勢力で劣ったままだったので会戦を避けて撤退した。 さらに3日後の4月17日、テイラーはバンクス軍の侵攻を遅らせるためにバーミリオン・バイユーに架かる橋を焼いた。バンクス軍が橋まで辿り着くと砲撃戦が開始された。その夜、テイラーは再度その軍を退いた(バーミリオン・バイユーの戦い)。バンクス軍は最初の目的地アレキサンドリアを経て、最終目的地であるポートハドソンへの進軍を続けた。
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