ヨハネ福音書の比較
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 09:45 UTC 版)
この節では、ヨハネによる福音書第1章1節から2節ないし3節までを引用しておく。節番号は割愛した。また、ルビはカッコによって示したものがある。空白のあけ方、句点の打ち方などは出典の通り(後の校訂などを経たものを含むので、初出の通りとは限らない)。 翻訳名訳文ギュツラフ訳(1837年)ハジマリニ カシコイモノゴザル、コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル、コノカシコイモノワゴクラク。ハジマリニコノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。ヒトワコトゴトク ミナツクル、ヒトツモ シゴトワツクラヌ、ヒトワツクラヌナラバ。 ウィリアムズ訳(写本1850年)ハジマリニカシコイモノゴザル コノカシコイモノ テンノツカサ トモニゴザル コノカシコイモノテンノツカサ ハジマリニカシコイモノ テンノツカサトモニゴザル ヒトワコトゴトクミナツクル ヒトツモシゴトワ ツクラヌ ヒトワツクラヌナラバ ベッテルハイム訳(公刊1873年)はじめ に かし こい もの あり かし こい もの は 神 と ともに います かしこい ものは すなはち 神。この かしこいものははじめに神とともにいます。ばん もつ かしこい ものを もつて なされ たり すべて なされ たる ものは これを もつて なされず たり と いふ こと なし。 ヘボン、ブラウン訳(1872年)元始(はじめ)に言霊(ことだま)あり言霊は神とともにあり言霊は神なり この言霊ははじめに神とともにあり よろづのものこれにてなれりなりしものはこれにあらでひとつとしてなりしものはなし N・ブラウン訳(1879年)はじめに ことば あり、ことばは かみと ともに あり、ことばは すなはち かみ なり。これ はじめに かみと ともに ありし もの なり。あらゆる ものは これに よつて なれり。なりし ものは ひとつとして これに よらで なりし もの なし。 明治元訳聖書(1880年)太初(はじめ)に道(ことば)あり道(ことば)は神(かみ)と偕(とも)にあり道(ことば)は即ち神なり この道(ことば)は太初(はじめ)に神とともに在き 萬物(よろづのもの)これに由て造らる造られたる者に一(ひとつ)として之に由らで造られしは無(なし) スタイシェン、高橋五郎訳(1897年)元始(げんし)に言霊(ことたま)ありき、言霊は神と偕に在りき、言霊は神なりき。是は元始に神と偕に有りき。万物(ばんもつ)は彼を以て造られき、造られたる物は何一つとして彼なしには造られざりき。 日本正教会訳(1901年)太初(ハジメ)ニ言(コトバ)有リ、言ハ神(カミ)ト共ニ在リ、言ハ即(スナハチ)神ナリ。是ノ言ハ太初ニ神ト共ニ在リ。萬物(バンブツ)ハ彼ニ由リテ造ラレタリ、凡ソ造ラレタル者ニハ、一(イツ)モ彼ニ由ラズシテ造ラレシハ無シ。 ラゲ訳(1910年)元始(はじめ)に御言(みことば)あり、御言(みことば)神の御許(おんもと)に在(あり)、御言は神にてありたり。是(これ)元始に神の御許に在たるものにして、萬物之に由りて成れり、成りしものゝ一(ひとつ)も、之に由らずして成りたるはあらず。 大正改訳聖書(1917年)太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初(はじめ)に神とともに在り、萬(よろづ)の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。 永井直治訳(1928年)初に言ありき、また言は神と偕にありき、また言は神なりき。此の者は初に神と偕にありき。すべての物、彼によりて剏(はじ)まれり、また剏まりたる物に、一つとして彼を離れて剏まりしはなし。 子供聖書(1933年、分冊1936年)一番はじめに、お言(ことば)がありました。お言は神様とごいつしよでありました。お言は神様とおなじでありました。このお言は一番はじめに神様とごいつしよに居りまして どんなものでもそのおかげで出来ました。出来ましたものは何でもそのおかげです。そのおかげで出来ないものは一つもありません。 口語訳聖書(分冊1953年)初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 新改訳聖書(1965年)初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。 共同訳聖書(1978年)初めに〈御言葉〉(みことば)があった。〈御言葉〉は神とともにいた。〈御言葉〉は神であった。このかたは、初めに神とともにいた。神はこのかたによって万物を造った。造られたもので、このかたによらないで造られたものは何一つなかった。 バルバロ訳(1953年、講談社版1975年)はじめに御言葉(みことば)があった。御言葉は神と共にあった。御言葉は神であった。御言葉ははじめに神と共にあり、万物は御言葉によって創られた。創られた物のうちに、一つとして御言葉によらず創られたものはない。 新共同訳聖書(1987年)初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらず成ったものは何一つなかった。 岩波委員会訳(1995年)はじめに、ことばがいた。ことばは、神のもとにいた。ことばは、神であった。この方は、はじめに神のもとにいた。すべてのことは、彼を介して生じた。彼をさしおいては、なに一つ生じなかった。 ニューバイブル(2006年)初めにことばがあり、ことばは神と共にあり、ことばは神であった。ことばは初めに神と共にあった。すべてはその方によって存在するようになった。その方によらないで存在しているものは何一つなかった。 田川建三訳(2013年)はじめにロゴスがあった。そしてロゴスは神のもとにあった。そして神であったのだ、ロゴスは。これははじめに神のところにあった。万物がそれによって生じた。そしてそれなしには何一つ生じなかった。
※この「ヨハネ福音書の比較」の解説は、「日本語訳聖書」の解説の一部です。
「ヨハネ福音書の比較」を含む「日本語訳聖書」の記事については、「日本語訳聖書」の概要を参照ください。
- ヨハネ福音書の比較のページへのリンク