略歴・評価
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いけだ しゅうぞう。1953年(昭和28年)、京都府京丹後市網野町生まれ。大阪芸術大学美術科卒業。1981年(昭和56年)、第1回吉原治良賞美術コンクール展にて「PAINT PAINTINGⅡ」で佳作を受賞。1982年(昭和57年)、アート・ナウ'82展に出展した「モット ニホン テキニ」を兵庫県立近代美術館学芸員(当時)中島徳博に評価され、中島との対話のなかで、ありとあらゆるものが「存在することそのものが表現」であるととらえ、風景を描くにはその風景と同じだけの空間が必要だと想定する「1/1(いちぶんのいち)」の考え方を明らかにする。風土やその土地の歴史がアートによって再認識されることが、新たな魅力として未来につながると考え、地域を活性化するプロジェクトに携わることをライフワークのひとつとしている。2007年(平成19年)、舞鶴赤れんが倉庫群にて京都を代表する現代美術作家ヨシダミノルと「ヒカリノカタチ」展を共同制作。1996年(平成8年)、峰山球場沿いの町道にある扇谷遺跡の擁護壁に屋外ミュージアム「天女のシズク」を制作する。2008年(平成20年)「舞鶴メディアアートプロジェクト2008/竜宮への時間」など、企画プロデュース多数。峰山町を中心に展開するねこプロジェクトのワークショップ絵付け狛猫の原作者である。
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略歴・評価
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ひがしむら さちこ。1949年(昭和24年)京都府生まれ、大学卒業後、京都アート・コア版画工房で銅版画を学んだ。1977年(昭和52年)7月26日-31日にかけて開催された京都アート・コア新人展に、野菜や果物を直接焼きつける銅版画技法による「プランツ・シリーズ」を発表、繊細な感性を高く評価された。1979年(昭和54年)、京都市主催、京都市美術館開催の京展にてNHK京都放送局長賞受賞。 1982年から京都銅版画協会に所属。1980年代を中心に「京都銅版画協会展」、「京都アンデパンダン展」等に毎年出品するほか京都や大阪のギャラリーで個展を開催する。2006年銅版画の歩みをふりかえり市民のための制作の在り方を示唆した「京都銅版画展-銅版画とその教室の軌跡、展望-」に出品した。 同館が開催する多種多様なワークショップには、東村が考案、講師を務めるものも多く、「さっちゃん先生」と親しまれている。
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略歴・評価
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作曲家である渡辺浦人の長男として生まれ、武蔵高等学校[要出典]、武蔵大学経済学部を卒業した。23歳の時にフランス・パリへ留学してクラシックを学び、スコラ・カントルム音楽院卒業。その後ラジオ東京(現在のTBSホールディングス)へ入社し、演出部でテレビドラマの制作をするうちに音楽に対する想いが強くなり、同社を退社して音楽家に転身した。 様々なジャンルの作曲を手がけており、特に時代劇やアニメーション作品で印象に残る曲を残している。時代劇や現代劇においては、それまで使われる事のなかったチェンバロなどの楽器を多用し、クラシック音楽をベースとした独特なメロディラインで構成された曲を数多く作曲した。 またアニメ作品の主題歌・BGMの分野では、『巨人の星』、『アタックNo.1』、『天才バカボン』、『キューティーハニー』、『アルプスの少女ハイジ』、『魔女っ子メグちゃん』、『フランダースの犬』、『キャンディ・キャンディ』、『あらいぐまラスカル』、『機動戦士ガンダム』等の日本アニメ史上に残るヒット作品の音楽を手掛け、楽曲もヒットした。 一方で、『サラブレッド・マーチ』のような、元々は会議用に依頼され作曲したものや、舞台作品のBGMも数多く作曲したほか、自ら舞台の演出も行うなど、晩年まで精力的な創作活動を行っていた。『魔女っ子メグちゃん』、『あばれはっちゃく』にはタンゴが使われている。 『新選組血風録』や『巨人の星』の臨場感のある曲や、『白い巨塔(1978年フジテレビ版)』と『機動戦士ガンダム』『非情のライセンス』『無敵超人ザンボット3』の哀愁を帯びたBGMなどを作曲した。作曲する際には、必ず作品の脚本を読み、作品のイメージを把握した上で作曲を開始し、録音の際に歌手や演奏者への助言を与えた。 またED曲は哀愁を帯びた曲が多く、「永遠にアムロ」「元祖天才バカボンの春」「夜霧のハニー」「宇宙の星よ永遠に」などがある。 時代劇では、『新選組血風録』や『燃えよ剣』『俺は用心棒』シリーズ、『大奥』(1968年)から始まる3部作や『眠狂四郎』に、『子連れ狼』などの作品を担当。 その一方で作詞も数多く手がけ映画主題歌『緋牡丹博徒』(1968年)は主演の藤純子人気も相まって大ヒットした。 裏番組の仕事を掛け持ちした際には、妻の旧姓を用いて大塩 潤という名義も併用した。 1989年(平成元年)6月2日、腎不全により死去。56歳没。 没後、1998年度のJASRAC賞では『アタックNo.1BGM』で国際賞を受賞。 2004年に倖田來未が『キューティーハニー』(佐藤江梨子主演)の主題歌をカヴァーしてヒットさせ、更にSugarのメンバーとして活動していたayumiがカヴァーし、韓国でも同様にヒットした。 2008年、東京国際アニメフェア2008にて第4回功労賞を受賞した。 静岡県伊豆地方の稲取にある、この地方独特の雛祭りの「つるし雛」を展示するギャラリー「雛の館」には、妻の出身地の縁で、渡辺が寄贈した雛人形一式が展示されている。
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