てるくに‐まんぞう〔‐マンザウ〕【照国万蔵】
照國萬藏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/31 07:11 UTC 版)
照國 萬藏(てるくに まんぞう、1919年1月10日 - 1977年3月20日)は、秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現:秋田県湯沢市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した大相撲力士。第38代横綱。本名は菅 萬藏(すが まんぞう)で、のちに大野 萬蔵(おおの まんぞう)となる[1]。
注釈
- ^ 当時は、東西制であり、番付の東西は画然と別れていて、同じ側の取組はなかった
- ^ 1961年9月場所後に同時昇進の柏戸剛・大鵬幸喜が当時それぞれ22歳9ヶ月と21歳3ヶ月で照國の記録を更新。2015年現在の記録は北の湖敏満の21歳2ヶ月。
- ^ この時、賜杯を抱いて優勝額(全勝額)を背後に撮影された写真が現存する。
- ^ 左肩関節打撲及び捻挫により6日目から途中休場
- ^ 神経痛・歯痛により6日目から途中休場
- ^ 心臓脚気により7日目から途中休場
- ^ 左膝関節打撲により10日目から途中休場
- ^ 左膝関節負傷により4日目から途中休場
- ^ 右膝関節負傷・糖尿病・顔面神経痛により全休
- ^ 糖尿病により12日目から途中休場
- ^ 糖尿病・感冒により3日目から途中休場
出典
- ^ a b c d e f g h i j k ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p30
- ^ a b c d e f g h i 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)32ページから33ページ
- ^ a b c d e f g h i 秋田魁新報・日曜連載「秋田が生んだ横綱照国物語」
- ^ 朝日新聞1953年1月23日付社会面
- ^ 朝日新聞1953年1月24日付スポーツ面
- ^ 「降格の規則ができていたら楽に取れた」双葉山が明かした“背水の重圧”(1/2ページ) 日刊ゲンダイDIGITAL 2023/03/17 06:00 (2023年3月18日閲覧)
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