無線電信法
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「アマチュア無線の周波数帯」の記事における「無線電信法」の解説
年できごと1915年(大正4年) 無線電信法が制定された。1915年(大正4年)11月1日に無線電信法、私設無線電信通信従事者資格検定規則、私設無線電信規則が施行された。企業や個人の無線実験施設が無線電信法第2条第5号で定められ、逓信大臣の許可により運用できることになった。いわゆるアマチュア局に相当する実験施設を許可するために最低限必要となる規則が法的に整えられた。 1921年(大正10年) 中波300m(1MHz)付近で真空管式無線電話を実験する不法施設が現れた。1923年(大正12年)になると、これらの不法施設の数はおよそ500局に増加したが、そのほとんどが波長200-400m(750-1,500kHz)で5W以下の無線電話だった。 1925年(大正14年) 短波の無線電信を使う新しい不法施設が現れはじめた。 1926年(大正15年) 6月に短波のグループにより日本アマチュア無線連盟(JARL)が設立され、その宣言を世界に打電したが、許可を得たものではなかった。 1927年(昭和2年) 第3回国際無線電信会議(ワシントン会議)で アマチュア無線の周波数が、1.715-2.0Mc(共用)、3.5-4.0Mc(共用)、7.0-7.3Mc、14.0-14.4Mc、28.0-30.0Mc、56.0-60.0Mcの6バンドが承認された。 1928年(昭和3年) 逓信省が素人(アマチュア無線家のこと)の私設無線施設に38m(7900kc)の指定を開始した。以降、21.13m(14200kc)、9.68m(31000kc)、5.17m(58000kc)などが指定されるようになった。 1929年(昭和4年) 1月1日ワシントン会議の諸規則が発効した。新設局に1775kcの倍数の周波数を許可するようになった 9月12日逓信省「信第833号」により素人を含む私設の無線施設には1775kc、3550kc、7100kc、14200kc、28400kHz、56800kcの6波の中から指定するものとされた。 他の周波数も指定される余地はあった。 1933年(昭和8年) 昭和8年12月29日逓信省令第60号私設無線電信電話規則が制定された。私設無線施設に関する規定が明文化された。 1934年(昭和9年) 8月12日に陸軍海軍逓信三省電波統制協定が制定され、私設無線施設に6波を指定することがそのまま取り入れられた。 1939年(昭和14年) 7月27日逓信省告示第2176号により私設無線施設は6波のみに制限された。 1941年(昭和16年) 12月8日の太平洋戦争開戦(大東亜戦争)により、私設無線施設の運用は禁止された。周波数の指定が取り消されたということではない。 注「無線局」という文言は無線電信法令に規定されておらず、「私設無線電信電話実験局」は通称であった。
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無線電信法
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無線技術士の前身は、1940年(昭和15年)制定の逓信省令電気通信技術者検定規則による電気通信技術者である。 電信法や無線電信法においては、電気通信は政府が管掌するものとされ、官設無線を操作するのは官員(国家公務員に相当)であり特に資格は要しなかった。なお無線電信法第2条で法人や個人による私設無線の開設を例外的に認め、その操作には私設無線電信通信従事者の資格が要求された。 その後の第一次世界大戦や関東大震災による財政逼迫で、国際通信の運営を国際電気通信株式会社にまかせ、また1924年(大正13年)から社団法人日本放送協会(現NHK)がラジオ放送を始めた。両者の設備を運用する技術者は任用時に逓信省の認定を個々に受けていたが、戦時体制下に国家資格として創設されたのが電気通信技術者である。いわば政府に代って電気通信を管理するための資格である。 現行の無線従事者とは異なり無線通信士検定規則に基づく無線通信士とは別個の資格であり、電気通信事業法下における電気通信主任技術者の原型ともいえる。 年できごと1940年(昭和15年) 3月 電気通信技術者検定規則に電気通信技術者第一級 電気通信技術者第二級 電気通信技術者第三級(無線) 電気通信技術者第三級(有線) の4種が制定された。資格は終身有効であった。また、無線通信士第一級は電気通信技術者第三級(無線)とみなされた。 国際電気通信株式会社に対して配置が要求された。 12月 社団法人日本放送協会に対して配置が要求された。 また無線電信法第2条第5項の実験用私設無線電信無線電話施設(戦後になり私設無線電信電話実験局とも通称された。現代の実験試験局、実用化試験局、アマチュア局をあわせたものに相当する。)の操作には、それまで「無線通信士資格検定規則」第1条により無線通信士第三級以上の資格が求められていた。ところがこの年の12月より突然、無線通信士第二級以上又は電気通信技術者第三級(無線)以上を要求される事態となったが、まもなく太平洋戦争の開戦で実験用私設無線電信無線電話施設の運用が禁じられたため、結局のところ『無線通信士資格検定規則』第1条、および『私設無線電信無線電話規則』第36条の規則改正はなされないまま終戦後まで放置された。 1941年(昭和16年) 太平洋戦争開戦以後、人員・物資が窮迫するに伴い受験年齢制限の撤廃、実務経験の範囲拡大などの戦時特例が行われた。 1946年(昭和21年) 戦時特例が廃止された。 1947年(昭和22年) 試験が実施されなかった。以後、廃止時まで実施されなかった。これ以降の取得は実務経験や学校卒業等による。 1949年(昭和24年) 電気通信技術者の制度が廃止された。
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無線電信法
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1915年(大正4年)、「政府は無線を管掌する」という大原則を保ったまま、例外として私設無線施設の開設を認める無線電信法を、電信法から独立させた。 民間海運会社の費用で無線局を開設・保守させ、それを運用できる私設無線電信従事者資格を私設無線電信通信従事者資格検定規則で定めたのである。そして私設無線電信従事者を民間海運会社に雇用させるだけでなく、私設無線電信従事者の養成も民間に委ねた。これは民間企業、私立学校、個人が開設する無線施設の運用資格である。 年できごと1915年(大正4年) 無線電信法第2条第1号から第6号で定める私設無線施設(民間企業・私立学校・個人が開設するもの)に対し、私設無線電信通信従事者資格検定規則の第1条で以下の3資格を定めた。詳細は無線電信法を参照。私設無線電信通信従事者 第一級 私設無線電信通信従事者 第二級 私設無線電信通信従事者 第三級 資格は終身有効であった。中でも第三級資格は無線電信法第2条第5号の施設(無線機メーカー、私立無線学校、個人の無線実験を目的とする施設)に従事することを想定したものだが、無線電信法と同時に施行された私設無線電信規則の第15条で逓信大臣が認めた場合は第三級資格を免除することが定められた。戦前のいわゆるアマチュア無線の運用にはこの免除規定が適用され続けた。 1924年(大正13年) 私設無線電信通信従事者漁船級が制定され計4種となった。 1926年(大正15年) 無線実験(法2条第5号施設)に必要とされる第三級資格取得の免除権限が逓信大臣から地方逓信局長に移譲された。 1931年(昭和6年) 無線通信士検定規則が制定され無線通信士が法制化された。従前の私設無線電信通信従事者は、次のとおり無線通信士にみなされた。私設無線電信通信従事者第一級 → 無線通信士第一級 私設無線電信通信従事者第二級 → 無線通信士第二級 私設無線電信通信従事者漁船級 → 無線通信士第三級 私設無線電信通信従事者第三級 → 無線通信士聴守員級資格保有者は、規則施行後半年以内に書き替えを要するものとされた。 聴守員級は送信操作はできず、受信操作のみしかできなかった。 無線実験施設には無線通信士第三級が求められたが、やはり私設無線規則第15条の免除規定が適用され続けた。 無線通信士電話級が制定された。 1934年(昭和9年) 私設無線規則が廃止され、無線実験施設に求められていた無線通信士第三級の免除規定が、新たに施行された私設無線電信無線電話規則の第36条へ移った。新しい私設無線電信無線電話規則の第3条で、無線電信法第2条第5号の施設に対し「実験用私設無線電信無線電話」という語が与えられた。これが戦前のいわゆるアマチュア局の正式名称である。 1938年(昭和13年) 無線通信士航空級が制定された。 1940年(昭和15年) 電気通信技術者検定規則が制定され、無線通信士第一級が電気通信技術者第三級(無線)にみなされた。長引く日中戦争による戦時体制下だった12月、「実験用私設無線電信無線電話」(俗にいう私設無線電信電話実験局は戦後に広まった通称)には、資格免除の規定の適用を停止するだけではなく、無線通信士第二級以上又は電気通信技術者第三級(無線)以上の資格を突然、要求するようになった。しかし結局、正規の規則改正がなされる前に太平洋戦争が開戦し、個人の実験用私設無線電信無線電話(いわゆるアマチュア無線)は禁止され、この改正は実行されないまま終戦を迎えた。 1941年(昭和16年) 太平洋戦争開戦以後、人員・物資が窮迫するに伴い受験年齢制限の撤廃、実務経験の範囲拡大などの戦時特例が行われた。 1946年(昭和21年) 戦時特例は廃止された。 1949年(昭和24年) 無線通信士航空級が廃止され無線通信士電話級とみなされた。
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無線電信法
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1915年(大正4年)11月1日に無線電信法、私設無線電信通信従事者資格検定規則、私設無線電信規則が施行された。企業や個人の無線実験施設が無線電信法第2条第5号で定められ、逓信大臣の許可により運用できることになった。いわゆるアマチュア局に相当する実験施設が法的に認められた。同時に施行された私設無線電信通信従事者資格検定規則で、この法第2条第5号の無線実験施設を操作するには、私設無線電信通信従事者第三級の資格が必要とされた。 しかし法第2条第5号の無線実験施設については、モールス技能を身に付けていない無線技術者でも実験できるように、通信従事者資格の取得を免除する規定が私設無線電信規則の中に設けられた。 1922年(大正11年) 無線電信法第2条第5号による私設無線電話施設が初めて個人に許可された。 1923年(大正12年) 無線電信法第2条第5号による私設無線電信無線電話施設が初めて個人に許可された。免許の有効期間は1年で、引き続き運用するためには再免許の手続きを要した。 無線電信法第2条第5号による無線電信無線電話施設とは、実験試験局、実用化試験局とアマチュア局をあわせたものに相当する。なお、無線電信法令には「無線局」という文言は無く「私設無線電信無線電話実験局」とは太平洋戦争後に広まった通称である。 1926年(大正15年) 無線電信法第2条第5号による実験施設を運用するための通信従事者資格の免除権限が、逓信大臣から所轄逓信局長へ委譲された。私設無線電信通信従事者第三級以上の資格を持たないものは、所轄逓信局で私設無線電信規則第15条の資格免除を受けるための能力試験を受けた。 1929年(昭和4年)「無線電信無線電話実験施設ニ関スル件」で学校、講習所、素人(個人)が開設する実験施設の周波数と出力について逓信省の許可方針(1.775, 3.550, 7.100, 14.200, 28.400, 56.800Mcで10W以下)が地方逓信局長に示された。 1934年(昭和9年)1月1日に施行された私設無線電信無線電話規則の第3条で「法第2条第5号の実験施設」に対し「実験用私設無線電信無線電話」という語を与えた。これがいわゆる戦前のアマチュア局の法制上の正式名称である。 1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争勃発に伴い実験用私設無線電信無線電話施設の運用は禁止された。
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