彭羕
身の丈が八尺もあり容貌は非常に魁偉であった。性格は傲岸不遜で他人をぞんざいに扱ったが、ただ秦宓だけを尊敬して、太守許靖に推挙文を上書している。州役人となったが書佐の職に過ぎず、そのうえ人々が劉璋に悪口を吹き込んだので、髠刑(髪を剃り落とす)に処されたうえ労役を課せられた。 劉備が益州に入って劉璋への攻撃を開始すると、彭羕は彼に仕えようと考えて龐統の陣営を訪れた。互いに面識もないうえ龐統には来客があったが、彭羕は勝手に寝台に上がり「客が帰ったら話をしよう」と言った。しかも来客が帰って龐統が寝台の前に来たとき食事を要求する有様だった。しかし二人は二泊三日にわたって語り合い、龐統は大いに彼を評価した。そこで法正が彼の知人だったので一緒に行って劉備に会わせると、劉備もまた彼を評価し、諸将への伝達役として劉備の命令を伝えさせたが、仕事を見事にこなしてますます信頼された。 益州が平定されると治中従事に任じられた。彼は卑しい身分から抜擢されて一挙に益州を治める立場になったので、ますます思い上がった。諸葛亮は表面上は彼をもてなしたが内心では憎み、劉備に「彭羕は天下への野心を持っております」と内密に言上した。劉備は諸葛亮を信頼しており、また実際に彭羕の振る舞いを調べてその通りだったので、彼を江陽太守に左遷することにした。 彭羕は不満に思い、馬超のもとを訪れたが、馬超が「貴方は才能抜群なので諸葛亮殿・法正殿と一緒に活躍するものだと思っていたが、田舎の太守にされて不満ではないのかね」と問うと、「あの老兵(劉備)は耄碌して話にならぬ」と答え、また「貴方が軍事を司り、私が政治を司れば天下を思い通りにできるのだが」と持ちかけた。馬超は他国から身を寄せたばかりのことで諸将の疑いを恐れていたので、彭羕の言葉を上奏した。 【参照】許靖 / 諸葛亮 / 秦宓 / 馬超 / 法正 / 龐統 / 劉璋 / 劉備 / 益州 / 広漢郡 / 江陽郡 / 書佐 / 太守 / 治中従事 / 髠刑 |
彭ヨウ
彭 羕(ほう よう、184年 - 220年)は、中国後漢末期の政治家。字は永年(えいねん)。益州広漢郡の人。
生涯
劉璋・劉備に仕えた。「身長8尺、甚だ容貌魁偉であり、性格は驕慢、人をぞんざいに扱うことが多かった」とある。
同郷の秦宓が許靖に推挙したため、彭羕は益州の書佐になった。しかし驕慢だったために讒言を受け、髠鉗(こんけん、剃髪され首枷をされること)の刑に処され労役囚とされた。
後に、劉備の陣営にいた龐統の所に無断で訪れて語り合い、龐統に才能を認められ、法正が前から彭羕をよく知っていたので、劉備の下へ連れて行かれた。劉備が彭羕に軍事について諸将に指示を与えさせると、彼は自分の仕事を見事にこなしたので重用された。劉璋を降した後、益州の治中従事となった。
だが、彭羕は思い上がり傲慢に振舞った。諸葛亮が劉備に「彭羕は野心が大きいので、大人しく仕えさせておくのは難しいでしょう」と内密に進言したため、劉備は行状を観察した上で次第に疎んずるようになり、江陽太守として左遷した。
この左遷への不満から、「あの老革[1](おいぼれ、老兵の意で劉備を指す)は耄碌して話にならない」「卿(馬超)が外(軍事)を、我が内(内政)を握るなら、天下に不足はないのだが…」と劉備への謀反とも取れる誹謗を馬超に漏らした。馬超がこのことを即刻上奏すると、彭羕は逮捕されて係の役人に引き渡された。
彭羕は獄中より諸葛亮に手紙を送り、主君の我が子に与えられるような厚い恩愛(分子之厚)を賜りながら、慈父を裏切ったからには罪は百度の死に相当すると認めつつ、馬超に漏らした言葉については弁明している。その後、処刑された。享年37。
演義での彭羕
小説『三国志演義』[2]では、字は永言。親友の孟達が関羽を見殺しにしたことによって立場が危うくなったため、孟達宛の書簡を自分の従者に渡す。だがこの従者は関所で馬超に見つかり投獄されてしまう。事態を察した馬超が、彭羕の邸宅を訪れて真相を探ると、彭羕が正史と同じような言葉で劉備への謀反とも取れる話を持ちかけてくるのである。あとは正史と同じように、馬超が劉備に上奏したため、このことで警護兵に逮捕され処刑されてしまう。親友の刑死を知った孟達は、直ちに上庸から魏に奔ったという設定になっている。
脚注
- ^ 揚雄の『方言』にいう。悈・鰓・乾・都・耇・革は老の意味である。郭璞の注にいう。みな老人の皮や毛がかさかさになり張りを失った状態をいう言葉である。臣(わたくし)裴松之は考える。皮から毛を取り去ったものを革という。昔は革をもって兵(武器)を作った。だから兵革という言葉があるのであり、革は兵と同義である。彭羕が劉備を罵倒して老革といったのは、ちょうど老兵といったようなものである。
- ^ 吉川英治の『三国志』および横山光輝の『三国志』では彭義。字は正史同様に永年である。
参考文献
- 『三国志』 - 劉彭廖李劉魏楊伝第十:彭羕伝
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