ほう‐よう〔ハウ‐〕【包容】
読み方:ほうよう
[名](スル)
ほう‐よう〔ハウエフ〕【包葉/×苞葉】
読み方:ほうよう
⇒苞(ほう)
ほう‐よう〔‐ヤウ〕【奉養】
ほう‐よう〔ハウ‐〕【抱擁】
ほうよう〔ハウヨウ〕【抱擁】
ほう‐よう〔ハウ‐〕【放×鷹】
読み方:ほうよう
鷹狩(たかが)りをすること。
ほう‐よう〔ホフ‐〕【法用】
読み方:ほうよう
「法要1」に同じ。
ほう‐よう〔ホフエウ〕【法要】
ほう‐よう〔ハウ‐〕【芳容】
ほう‐よう〔‐エウ〕【蜂腰】
読み方:ほうよう
2 漢詩の八病(はちへい)の一。五言詩の1句の第2字と第5字とが同じ平仄(ひょうそく)になっていること。また、五言詩・七言詩とも1句の第2字と第4字との平仄が同じになっていること。蜂腰病。
ほう‐よう〔‐ヤウ〕【褒揚】
法様
読み方:ホウヨウ(houyou)
慣習のこと。
彭陽
封陽
彭羕
ホウヨウ |
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身の丈が八尺もあり容貌は非常に魁偉であった。性格は傲岸不遜で他人をぞんざいに扱ったが、ただ秦宓だけを尊敬して、太守許靖に推挙文を上書している。州役人となったが書佐の職に過ぎず、そのうえ人々が劉璋に悪口を吹き込んだので、髠刑(髪を剃り落とす)に処されたうえ労役を課せられた。 劉備が益州に入って劉璋への攻撃を開始すると、彭羕は彼に仕えようと考えて龐統の陣営を訪れた。互いに面識もないうえ龐統には来客があったが、彭羕は勝手に寝台に上がり「客が帰ったら話をしよう」と言った。しかも来客が帰って龐統が寝台の前に来たとき食事を要求する有様だった。しかし二人は二泊三日にわたって語り合い、龐統は大いに彼を評価した。そこで法正が彼の知人だったので一緒に行って劉備に会わせると、劉備もまた彼を評価し、諸将への伝達役として劉備の命令を伝えさせたが、仕事を見事にこなしてますます信頼された。 益州が平定されると治中従事に任じられた。彼は卑しい身分から抜擢されて一挙に益州を治める立場になったので、ますます思い上がった。諸葛亮は表面上は彼をもてなしたが内心では憎み、劉備に「彭羕は天下への野心を持っております」と内密に言上した。劉備は諸葛亮を信頼しており、また実際に彭羕の振る舞いを調べてその通りだったので、彼を江陽太守に左遷することにした。 彭羕は不満に思い、馬超のもとを訪れたが、馬超が「貴方は才能抜群なので諸葛亮殿・法正殿と一緒に活躍するものだと思っていたが、田舎の太守にされて不満ではないのかね」と問うと、「あの老兵(劉備)は耄碌して話にならぬ」と答え、また「貴方が軍事を司り、私が政治を司れば天下を思い通りにできるのだが」と持ちかけた。馬超は他国から身を寄せたばかりのことで諸将の疑いを恐れていたので、彭羕の言葉を上奏した。 【参照】許靖 / 諸葛亮 / 秦宓 / 馬超 / 法正 / 龐統 / 劉璋 / 劉備 / 益州 / 広漢郡 / 江陽郡 / 書佐 / 太守 / 治中従事 / 髠刑 |
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