専用鉄道敷設を決定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 10:12 UTC 版)
「東京都水道局小河内線」の記事における「専用鉄道敷設を決定」の解説
小河内貯水池(小河内ダム)の築造に伴い、ダム工事現場までの資材輸送(セメント約336,000トンおよび川砂約609,000トン)の方法について、戦時中の工事中止前に道路および索道によって運搬する計画が立案されていたが、1948年(昭和23年)の工事を再開した直後、東京都水道局は計画の見直しを行い、従来の計画は白紙に戻して、改めて鉄道、自動車および索道の3案について、技術的、経済的に検討した比較案を立てることとした。1949年(昭和24年)1月25日に開催された第1回技術顧問会議(鈴木雅次や久保田豊ら6名が技術顧問であった)に提案審議した結果、鉄道案が採択され、氷川駅(現:奥多摩駅) - ダム現場間に専用鉄道を敷設する方針が決定した。このため、日本国有鉄道(以後、「国鉄」という)に実施設計を委託した。委託仕様は以下のとおりであった。 専用鉄道は、国鉄青梅線終点の氷川駅を始点とし、ダム現場水根を終点とする。ただし水根駅の路線標高はなるべくEL.510m以上とする。 路線は丙線規格とし、トンネルは将来電化可能なようにする。 輸送量は1日最大1,000トン(セメント400トン、川砂600トン)以上とする。 現地測量は1949年3月に開始され、同年4月には国鉄新橋工事事務所が施工担当となった。現地測量を完了すると設計に着手し、路線選定及び設計方針は以下のとおり決定された。 蒸気機関車を使用して所要の輸送を可能にする。氷川 - 水根間の直線水平距離は約5kmで、その高低差が約170mもあり、従って仮に直線としてもその勾配は、34/1000(34パーミル)となる。この勾配では蒸気機関車の運転が不可能となるので路線を長くする必要がある。 水根駅をなるべく高所に設け、かつ構内を広くすること。路線延長と勾配に限界があるため、終点の高さにもおのずから限界があるが、できるだけダムのプラントとの関連をよくするため高くとり、また構内は荷卸しと貯蔵設備を考えて広くとるようにする。 工費の低廉と工期の短縮を考慮すること。勾配の許す限り路線延長を短くし、長大なトンネルは避け、また全路線のどの地点からも着工できるようにする。 将来の利用を考慮すること。ダム工事完成後観光鉄道として存置使用することを考慮し、丙線規格を採るとともに、電化可能にする。 概略設計は1949年5月に完了し、同年7月に国鉄青梅線氷川駅分岐「東京都専用側線」という形で実施に関する申請を行った。この間に進められた実施設計の概要は以下のとおりである。 線路延長:6.7km 最急勾配:30パーミル 最小曲線半径:300m 級別:丙線に準ずる。KS12 1日最大輸送量:1,500トン 明り:延長3,294m 橋梁:23箇所、延長1,121m トンネル:23箇所、延長2,285m これらのトンネルや橋梁の大部分は、国鉄の標準設計であったが、特に氷川駅から約700mの位置で日原川を横断する日原川鉄橋はオープンスパンドレル支間46.0m、拱矢16.1mの鉄筋コンクリートアーチ橋であり、側径間支間9.0mの5連続ラーメン橋とする、橋梁延長100.1m、曲線半径210mの特徴的な意匠となった。設計は主径間鉄筋コンクリート主橋を国鉄新橋工事事務所が担当し、側径間ラーメン構造部分は国鉄本庁施設局特殊設計課が担当した。また、水根駅の砂およびセメント貯蔵ビンは、2層連続ラーメンの特殊構造であった。 同年12月、工事施工を国鉄に委託することとなり、国鉄新橋工事事務所が担当することとなった。全線を8工区に分割し、8社による工事請負を決定したが、用地買収及びその補償問題が予想外にてこずったため、解決は翌年まで待たなければならなかった。1950年(昭和25年)5月に着工を迎え、15か月の工期を以て各工区とも一斉に着工した。 路線全体の地質は中生代のグレーワッケ(硬砂岩)および粘板岩の互層から形成され、いずれも節理が発達して不規則な割れ目が多いため、トンネルの施工は逆巻工法を採用した。また日原川橋梁の施工には、日本初のフレシネー工法を採用した。 工事は、着工1か月後に勃発した朝鮮戦争の影響による物価高騰、資金難、工事量増加による設計変更および工期延長等の問題も発生したが、1952年(昭和27年)3月に土木工事を完了。軌条敷設及び保安設備工事を実施し、同年11月に全工程を完了して氷川 - 水根間が開通した。 一方、ダム工事用資材を輸送するには、青梅線に80トン級機関車を入線させる必要があるが、御嶽駅 - 氷川駅間は30kg軌条と貧弱なうえ、半径250m以下の曲線部が多く、軸重増加に耐えられないものであった。このため、軌条・枕木の交換補充やバラスト補強などの軌道強化の必要があった。また、35分間隔ダイヤで旅客列車が運行されている合間をダム工事用資材輸送の貨物列車が入線するため、交換駅が多くなり、拝島駅・福生駅・羽村駅・小作駅・河辺駅・古里駅・氷川駅の7駅の構内側線を増強する必要を生じた。これらの工事は1952年7月から開始され、1953年(昭和28年)1月に完了した。 また川砂約609,000トンを東京都財務局小作砕石工場から小作駅を経て発送するため、延長約600mの専用側線と延長100mの積込場を設ける必要があり、この工事も国鉄に委託して施工し、1953年2月に完了した。 なお、小河内線や附帯設備などに係る建設費用の総額は9億1621万1千円であった。内訳は以下のとおりである。 土工費 133,781千円(切取51,985m3、築堤11,221m3、明り延長3,294m) 橋梁費 99,625千円(23箇所 延長1,121m) トンネル費 333,185千円(23箇所 延長2,285m) 軌道費 42,634千円 建物費 12,341千円 電気関係費 8,112千円 保安設備費 4,125千円 砂セメントビン築造費 35,256千円 氷川駅連結設備費 24,688千円 小作側線費 6,062千円 附帯工事費 29,404千円 青梅線強化関係費 78,954千円(既設国鉄青梅線、拝島外6駅施設増強) 総経費 104,249千円 補修費 3,795千円(災害復旧など)
※この「専用鉄道敷設を決定」の解説は、「東京都水道局小河内線」の解説の一部です。
「専用鉄道敷設を決定」を含む「東京都水道局小河内線」の記事については、「東京都水道局小河内線」の概要を参照ください。
- 専用鉄道敷設を決定のページへのリンク