伽藍・その他の施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 04:01 UTC 版)
名称創建年現在の建物の建立年奉安堂 平成14年(2002年)10月12日 同左 奉安殿 昭和30年(1955年)11月23日 同左(平成10年(1998年)増築) 御影堂 大永2年(1522年) 寛永9年(1632年)11月15日静岡県有形文化財(平成25年11月大改修工事完了) 三門 享保2年(1717年)8月22日 同左静岡県有形文化財(現在大改修工事中) 五重塔 寛延2年(1749年)6月12日 同左国重要文化財 客殿 寛正6年(1465年)3月 平成10年(1998年)3月25日 不開門(勅使門) 不詳 平成10年(1998年)3月25日 総門(黒門) 大永2年(1522年)9月17日 明治13年(1880年) 中門(二天門) 寛永15年(1638年) 同左 鬼門 享保2年(1717年) 同左 裏門 不詳 昭和63年(1988年)10月 大坊 正応3年(1290年)10月12日 平成13年(2001年) 六壷 明治22年(1889年)1月1日はじめて独立の堂宇として建立 昭和63年(1988年)10月7日 大講堂 昭和33年(1958年)3月1日 同左 中講堂 昭和63年(1988年)1月 同左 鐘楼 第17世日精の時 平成2年(1990年)4月 鼓楼 第17世日精の時 平成2年(1990年)4月 御経蔵 元禄10年(1697年) 昭和48年(1973年)10月 御宝蔵 第9世日有の時 寛政2年(1790年) 多宝蔵 平成2年(1990年)4月 同左 十二角堂(位牌堂) 不詳 昭和35年(1960年)12月1日 納骨堂 昭和35年(1960年)12月1日 平成17年(2005年)3月、大納骨堂と称す 典礼院(墓地事務所) 昭和44年(1969年)6月 昭和59年(1984年)7月 書院 江戸時代初期 昭和56年(1981年)10月、大書院と称す 閼伽堂 不詳 昭和48年(1973年)10月 旧六万塔 宝永元年(1704年) 同左 新六万塔 平成6年(1994年)4月 同左 宝物殿(旧富士美術館) 昭和48年(1973年)5月3日 同左 宗務院 昭和33年(1958年)2月(大講堂内) 昭和56年(1981年)10月 登山事務所 平成3年(1991年)7月(総一坊内) 平成23年(2011年)3月 大坊(だいぼう)は、正応3年(1290年)10月創建、昭和37年(1962年)再建、平成13年(2001年)拡充・新築された。大石寺建立の基であり、大奥(庫裡)・対面所・各役員室・内事部・会議室などがある。 総門(黒門)(そうもん・くろもん)は、大永2年(1522年)創建、寛永15年(1638年)再建、現在の門は明治13年(1880年)に再建新築されたもので、平成10年(1998年)に三門から真南の現在の場所へ移設された。古来より黒塗りのため通称黒門と呼ばれ、境内の最南端に位置し、大石寺の表玄関となっている。江戸中期の『大石寺境内図』に描かれているように、古来、黒門は三門から真南の位置になく、少し東寄りにあった。そして、昭和47年(1972年)1月3日に鉄筋コンクリート作りの総門(新総門)が三門から真南の場所に建立し、黒門は旧総門となった。平成10年(1998年)に新総門が解体され、黒門がその跡地に移設されて再び総門となった。 中門(二天門)(なかもん・にてんもん)は、寛永15年(1638年)に創建した朱に塗られた門である。たびたび修築されてきたが、現在の門は昭和34年(1959年)に再建されたもので、屋根を銅葺に改めた。中央塔中と御影堂の間の参道にある。 鬼門(おにもん)は、享保2年(1717年)に建立し、昭和33年(1958年)屋根を銅葺に改めた。中央塔中を上り、中門の手前を左折すると朱塗りで古風な唐破風造りのこの門があり、上部に鬼の面が付けられているのでこの名がある。鬼門とは仏法帰入の象徴といわれる。 裏門(うらもん)は、昭和63年(1988年)10月に移転再建した。創建の記録はないが、江戸中期の『大石寺境内図』に描かれている。六壷正面参道の南端に位置する。 中講堂(ちゅうこうどう)は、昭和63年(1988年)1月に建立した。大講堂の西隣に位置した3階建ての建物で、大講堂から渡り廊下で連絡している。1階は応接室・会議室、2階は富士学林図書館、3階は約300人を収容する講堂になっている。 鐘楼(しょうろう)は、時を告げる梵鐘が備えられた楼であり、毎日朝夕と正午の3回、時を告げ、また大法要の折や大晦日にも撞かれる。江戸時代初期に創建され、明治4年(1871年)に改築、平成2年(1990年)4月再建、梵鐘は昭和28年(1953年)鋳造されたもの。 鼓楼(ころう)は、御影堂で法要を奉修する際に出仕太鼓を打つための楼である。江戸時代初期に創建され、大正4年(1915年)改築、平成2年(1990年)4月再建された。 御経蔵(おきょうぞう)は、元禄10年(1697年)創建、昭和48年(1973年)10月再建。奉安堂の東方に建てられており、内部には輪蔵という回転式書架(御書庫)があり、県指定文化財の明本一切経が格納されている。 御宝蔵(ごほうぞう)は、第9世日有による創建で、寛正6年(1465年)に小校倉に造営された。現在の建物は寛政2年(1790年)に再建にされたもので、その後、数回にわたり修理が加えられている。客殿の北、大書院の隣に建てられており、重要文化財(『諌暁八幡抄』などの真筆御書)などの重宝が厳護されている。これらの重宝は御霊宝虫払大法会の時、客殿にて参詣の信徒にも拝観が許されている。 多宝蔵(たほうぞう)は、平成2年(1990年)4月に法祥園西側に創建された。貴重な古文書等が収蔵されており、耐震耐火建築になっている。 十二角堂(位牌堂・開山堂)(じゅうにかくどう・いはいどう・かいさんどう)は、貞享4年(1687年)8月再建、昭和35年(1960年)12月1日再建された。創建の記録はない。十二角に作られた堂宇でこの名がある。日興以来の歴代先師の五輪の位牌を安置していることから位牌堂とも称す。以前は御影堂の東後方にあったが、昭和44年(1969年)春、現在地(潤井川の東)に移転された。 書院(しょいん)は、江戸時代初期の創建といわれ、第26世日寛・第36世日堅の代に再建され、明治13年(1880年)に復興、大正8年(1919年)に増築されている。現在の建物は、昭和56年(1981年)10月に復興建立されたもので、大書院と称しており、内部は198畳敷の大広間となっている。書院とは講義や客の接待をするところで、創建当時から客殿北側に建てられている。 お華水と閼伽堂(おはなみずとあかどう)は、奉安堂の東、杉の巨木の下に湧き出る清泉を「お華水」という。閼伽とは仏前に供える浄水のことで、古来、このお華水を御宝前に供えている。閼伽堂は昭和48年(1973年)10月再建された。創建の記録はない。 六万塔(ろくまんとう)は、奉安堂広開門の東側、熱原三烈士墓碑の東隣に建つ塔身が六角の高さ6mからなる2基の塔である。古い塔は、宝永元年(1704年)に建立され、旧六万塔とも称される。新しい塔は平成6年(1994年)4月28日に建立され、新六万塔とも称される。塔身が六角であるのは、六万恒河沙の地涌の菩薩が、妙法弘通のために涌出したことを表している。 宗務院(しゅうむいん)は、昭和56年(1981年)10月に独立の建物として大講堂南側に完成した。日蓮正宗の宗務行政を司る庁舎で、以前、大講堂内に設置されていた。さらに遡ると明治末期の六壷の入り口の門には宗務院の看板があった。 このほかに坊舎などあわせて50以上の堂宇からなる。 大坊 不開門 総門(黒門) 中門(二天門) 鬼門 裏門 鐘楼 鼓楼 御経蔵 多宝蔵 十二角堂 新六万塔と旧六万塔 宗務院
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