伽藍:南大門と四天王像
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「蓮華院誕生寺」の記事における「伽藍:南大門と四天王像」の解説
蓮華院誕生寺は中世浄光寺の地に、これを復興するかたちで建立された。玉名市築地には南大門という地名が、字として現在に残っている。浄光寺の南大門がこの地にあった証左であるが、それが400年ぶりに再建されたことになる。南大門は青森ヒバによる二層楼門式で、身舎は幅五間奥行き二間で、外側の一間に四天王が安置され、中央の三間が通路であるが扉は付けられていない。石造の高い基壇の上に建てられており、平成23年に落慶した。屋根は初層が二手先、上層が尾垂木付の三手先で支えられ、上層の周囲には高欄が廻っている。門のすぐ前に公道が通っているために、その上に太鼓橋を架け、前面の敷地と結んでいる。設計施工は、匠社寺建築社、設計担当は大浦敬規である。 初層の四隅には四天王が安置されている。四天王はインドにおいて仏教が広がるにつれて古代の神々が、仏教の護法神として取り入れられたものである。日本では寺院を守護する役割として門に安置される場合が多い。護法神であるため甲冑をつけ覇気に満ちた忿怒の形相をし、手には武器や法具を持ち足には邪鬼を踏みつけた像として表現される。蓮華院誕生寺の四天王も表現はやや抑制しつつも、身体全体から指先に至るまで生気が満ち満ちて力が漲っており、あらゆる邪気や敵から仏教を守護しようとする激しい気迫を見せている。門の正面に向かって左手に増長天、右手に持国天、また内側の左手に広目天、右手に多聞天が配置されている。像高は2.75mと大きく、まず小像を作って賽の目に分解し、それを拡大して合わせる賽割法(さいわり法)と呼ばれる特別方法で作られた。巨大な激しい感情と動きを表現した四天王は、金を使った極彩色で着色され、豪華絢爛たる生き生きとした迫力を見せている。製作は京都の仏師、今村九十九である。 持国天は東方の守護神、身体は青で、右手は腰の位置に下げて独鈷杵を力強く握り、左手は三叉戟を高く掲げ持つ。口は大きく歯を見せてかっと開き、太い眉を吊り上げて大きく眼を開いて睨む。増長天は南方の守護神。身体は赤紫で、紺の鬢髪に顔は眼を大きく見開き、口も赤い唇と相まって持国天より大きく開き、右手に剣(日本刀)を頭上高く持って前に突き出し、左手は腰に当て索をもつ。広目天は西方の守護神で、身体は白色である。右手は顔の横に筆を持ち、左手は腰の位置に巻物を持ち、書写の形をもつ。顔は眉を上げ眉間に皺を寄せてはいるが、眼は他の三神と違い大きく見開かずむしろ薄く開け、口は堅く閉じている。単純に忿怒の表情を見せるというより、一瞬の躊躇いというか優しさというか、激しい感情の中にも人間に対する愛情とか慈悲を感じさせるような、四天王の中でも最も複雑で高い次元の内なる感情を表している。横綱白鵬が心象モデルを務めた。多聞天は毘沙門天ともいう。北方を守護する神で、財宝や富貴を司り、四天王の中で最も由緒正しい。広く仏法を聞くという意味で多聞天という。身は黒色、頭に鈴を乗せ、右手に宝棒を持ち、左手に宝塔を高く捧げもつ。顔の表情は眼を大きく開きながら口は何か強い決意を秘めたようにきっと結んでおり、強烈な熱い感情を内に秘めつつも、どこか落ち着いた静謐な心の内面を感じさせる。横綱朝青龍が心象モデルを務めた。 表側に配置された二天は武器を持ち、仏教の守護神としての激しい感情を直接的に表現しており、正に外に向かって邪悪な魂を打ち破ろうとしている。これに対し内側の二天は、武器ではなく仏教の教えを象徴する法具などをもち、忿怒の表現は抑制され内に秘められ、表情は静かでかつ複雑であり、寺院の内に対して仏教を鼓舞する役割を果たしている。 持国天。右手に独鈷杵、左手に三叉戟を持つ。 持国天頭部 増長天。右手に剣(日本刀)、左手に索をもつ。 増長天頭部 広目天。右手は筆、左手は巻物を持ち、書写の形をとる。 広目天頭部 多聞天。右手に宝棒を持ち、左手に宝塔を高く捧げもつ。 多聞天頭部。
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