伽藍・文化財など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:17 UTC 版)
「長福寺 (名古屋市緑区)」の記事における「伽藍・文化財など」の解説
境内には本堂・薬師堂・観音堂・鐘楼などの堂宇があり、境内南側に蓮池と呼ばれる放生池が、境内の東奥に墓地が広がっている。山門から入った付近に大杉が一本立ちそびえているが、伝承では、今川義元の茶坊主であった林阿弥(りんあみ)がこの場所で主君の首実検を命ぜられたという。大杉は供養杉として長らく境内にあったが、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風によって倒れ、現在は2代目である。なお、林阿弥は許されて故郷に帰ったが、後に回向のために当寺を訪れた際に納めた阿弥陀如来が現在の本尊であるという。伝承の真偽のほどは不明だが、当本尊が寛文年間(1661年-1673年)より以前から長福寺に安置されていたことは確実である。寺宝として今川義元及び松井宗信の木像があり、その旨を示す標柱が境内に建っている。また、桶狭間合戦記・鎧・槍などを所蔵している。 長福寺の近隣にはため池「大池」があり、これを水源とする境川水系鞍流瀬川(くらながせがわ)が参道を分断し、現在は暗渠化されているもののかつては「浄土橋」と呼ばれる橋がかかっていたという。桶狭間の戦いの折り、この川は血で真っ赤に染まり、馬の鞍の流れる様子から鞍流瀬川と名づけられたともいわれる。浄土橋という名にも、大量の戦死者への供養の意が込められていたという。
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