暗渠化
暗渠化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:06 UTC 版)
鴨川左岸堤防上に敷設されていた京阪電気鉄道京阪本線(塩小路通との交差部-三条駅)の地下化および鴨川電気鉄道の三条駅-出町柳駅建設、川端通の延長と一体として、塩小路通以北の鴨川運河の改修と大部分の暗渠化が実施され、京阪鴨東線は1989年(平成元年)10月5日、地下線により開業した。 暗渠化の計画は1935年(昭和10年)6月26日と8月10日に連続して発生した鴨川水害と呼ばれる水害で溢れかえった水が、京阪本線の走る堤防を超え疏水を超えて鴨東地区を浸水させた。この水害で鴨川の洪水対策として川底の掘り下げと併せて川幅の拡幅が計画された。しかし拡幅には京阪本線と疏水(鴨川運河)が支障になったことから、京阪本線を琵琶湖疏水の地下に通すとともに、疏水も京阪本線の東側に直径4m送水管を建設して送水し、塩小路付近に水力発電所を建設することが計画された。しかし太平洋戦争で計画は頓挫、鴨川の川底の掘り下げと橋の架け替えが1947年(昭和22年)ごろまで続けられた。 1965年(昭和40年)頃に四条通から松原通にかけての区間で疏水の上に駐車場が整備された。その後さらにモータリゼーションが進み、京阪本線と交差する踏切での慢性的な交通渋滞、東大路通・河原町通の渋滞対策として京阪本線と疏水を地下化し、その上に川端通を敷設することが計画された。1975年10月24日都市計画決定を受け、1977年6月10日事業認可、1978年5月25日京都市と京阪電気鉄道との工事提携が締結され、1979年3月20日着工された。京阪本線の地下化工事は2度にわたるオイルショックの影響を受け工事は遅れ、1987年5月24日に京阪本線は地下化され、その1年後の1988年5月10日に川端通が開通した。鴨東線の建設については別会社(鴨川電気鉄道)で計画・鉄道建設公団が着工、琵琶湖疏水の下を建設するための河川法関係の諸手続きが1984年4月に終わり同年11月に着工した。鴨東線区間部分の疏水について、暗渠化されているのは一部であり、大部分は開渠となっている。 鴨川運河については、この工事期間中も仮設水路を造り、墨染水力発電所への発電用水は止めることなく送り続けられた。
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