伽藍と境内
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本堂: 現在の羽賀寺本堂は、室町中期の文安4年(1447年)の建立で、桁行5間(13.74m)、梁間6間(14.63m)、棟高13.21m。桧皮葺の入母屋造りで、軒の勾配がやや急に反る様式は北山文化の建築に多く見られる。堂内は内陣・外陣が明確に区別されており、正統的な密教様式を残す。1962年(昭和37年)、国の重要文化財に指定された。1966年(昭和41年)9月に解体修理が完了した。
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伽藍と境内
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/26 15:05 UTC 版)
境内で最も勇壮かつ偉大な建築は高さ30メートルの大弥勒殿と歴代パンチェン霊塔殿である。 第9世パンチェンラマチューキ・ニマによって1914年に高さ26.2メートルの弥勒菩薩の銅製坐像を奉られたのが大弥勒殿である。大弥勒殿は冠、顔、胸、腰と脚の5層構造で、中に坐像が供養されている。この弥勒像は6,700万両もの金と12万キログラムの純度の高い銅からなり、大小様々の1,400個余りのダイヤモンド、真珠、琥珀その他の宝石が散りばめられている。 7座の歴代パンチェン霊塔は大きさに違いがあり、何人かを奉った物も一人だけを奉った物もある。塔内には第10世パンチェンのチューキ・ギャンツェンを含む歴代パンチェンラマの舎利肉身が納められている。
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伽藍と境内
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 02:39 UTC 版)
本堂玄関から入ると正面には、当時方丈が登城の際に使った朱塗りの籠が飾られ、また大本山總持寺独住四世中興牧牛素童大和尚直筆の額などが飾られている。山門には曹洞宗中興の祖とされる月舟宗胡大和尚揮毫の「萬年山」の額、法堂には千丈実厳禅師揮毫による「正覚殿」の額が飾られており、常額寺(常に額を掲げているお寺)としての格の高さが伺える。 当院は彦根の中央に位置し、末寺5か寺を有する。 客間には、「赤鬼」と敵に恐れられた赤備えの武者姿を描いた井伊直政の掛軸、庫裡の玄関には韋駄天、烏枢沙摩明王が祀られている。また本堂玄関から入ると正面には、当時住職が登城の際に使ったであろう朱塗りの籠が飾られ、また大本山總持寺独住四世中興牧牛素童大和尚直筆の額などが飾られている。 本堂は122畳あり、滋賀県内でも有数の大きな法堂としても有名である。本堂内には井伊直政の位牌をはじめ井伊直弼、井伊直中など主だった当主の位牌がならぶ。墓地内には直政を荼毘に付した記念碑、また井伊家重鎮で直政が亡くなった時に早馬を駆けさせ徳川家康にその死を報告した三浦家の分家の墓や、藩の御用学者の墓など、歴史的価値のあるものも多い。 文政8年に奉納された天井絵は飛竜が描かれているが、保存状態が悪く原形をとどめてはいない。
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