リニューアル車両 "PUMA"
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:16 UTC 版)
「Toshiba (サルミエント線・ミトレ線用電車)」の記事における「リニューアル車両 "PUMA"」の解説
1990年代、民営化を行ったアルゼンチン国鉄からサルミエント線とミトレ線を引き継いだTBA(Trenes de Buenos Aires、トレネス・デ・ブエノスアイレス)(スペイン語版)では、前述のように緊急的な車両整備と更新を行う傍ら、老朽化が進んでいたこれらの"Toshiba"電車を全て置き換え、400両を越える完全な新車を導入する計画であった。しかし、新車を導入する資金が確保できず、国からの補助を受け"Toshiba"電車を大幅にリニューアルする工事を開始した。内容は、 車体更新(雨樋を撤去し張り上げ屋根に改造) 車内の大幅な更新(天井を含む化粧板と座席をFRP製の物に、吊革が設置される吊り棒を新品へ交換し、万が一の破損した際の対策を行うとともに、近代的で「快適な」雰囲気を創り出す) 床下機器をカバーするボディーマウント構造の採用(PUMA V.1とV.2の初期改造車のみ、2000年代終盤に台車周りを除き撤去) 前面非貫通化(PUMA V.1には貫通扉を残す車両も存在) 全室運転台化(上記車両は対象外) 中間車の運転台撤去による固定編成化(上記車両は対象外) 細かい温度調節が可能な冷暖房完備の空調設備搭載(一部例外が存在する) 電気指令式空気ブレーキとチョッパ制御装置の採用を中心とした電気機器の更新 運転操作の近代化(ワンハンドル式のマスター・コントローラーに交換) など多岐にわたるものである。試作車は1996年に完成し、当初これらの車両は"UMAP"(Unidad Múltiple Argentina de Pasajeros)と呼ばれていたが、後にアルファベットの順番を変え"PUMA"と言う名称に変更された。"PUMA"への改造は1998年から2012年まで行われたが、全体の約半数に近い車両は"PUMA"に改造される事は無く、前述の車内のリニューアルのみの施行で引退まで活躍した。 改造内容や改造時期に応じて、"PUMA"は以下の4種類へと進化した。 PUMA V.1 - 最初に改造が実施されたバージョン。1998年に"UMAP2"として最初の車両が完成し、翌1999年から営業運転に就いた。改造は2002年までの間に60両に施行された。当初導入された車両は前面が大型1枚窓、側面窓も固定式であったが、2002年に導入された車両はいたずらによる投石や飛び石による被害やエアコンの故障多発などの状況を考慮し、前面が3枚小型窓に、窓は2枚に1枚の上部が開閉可能な仕様に変更された。主電動機を除き電気機器も一新され、電源装置に静止型インバータが採用され、空気圧縮機も電気指令式空気ブレーキに対応した新型のものとなり、客用の乗り降りドアと車両間の貫通扉には「ソフトタッチ」ドアボタンが設置された。車内天井にはテレビが設置され、高音質のスピーカーも目玉であったほか、座席と冷房が設置されていない、自転車を持ち込み可能かつ混雑時には立ち席車両としても機能する"Coche Furgon"(荷物車)、またそれが半室構造になった"Coche Semifurgon"(半室荷物車)も登場した。中間車については一部車両に運転台が残されており、それらが先頭に立つ運用も存在した。一両あたりの定員は64人。なお、これらPUMA V.1は最後まで運用を続けていたイギリス製の"Metropolitan Vickers"と呼ばれる半鋼製電車を置き換えるために、ミトレ線のレティーロ・ミトレ - ティグレ間に投入された。一部の編成は"Toshiba"と混結されて運用されることもあった。2002年にミトレ線のレティーロ・ミトレ - ホセ・レオン・スアレス間用に導入された3編成は片方の先頭車の運転室側半分が荷物室の"Coche Semifurgon"となっている。この3編成の登場により、同区間で最後の活躍をしていたイギリス製の半鋼製電車は完全に置き換えられ、電車としての70年以上に渡る長い運用を終えた。登場時の塗装は車体の下半分を白、上半分を水色、その間に細い青線を配置したものであったが、後述の"PUMA V.3"の登場後にそれと同様の紫を基調としたものに塗り替えられた車両も登場した。 "PUMA V.1" 登場時の"PUMA V.1"はボディーマウント構造を採用していた "PUMA V.1"の自転車等を搭載可能な荷物車(前から2両目の車両) 初期の"PUMA V.1"の固定窓とドアボタン "PUMA V.1"の車内 "PUMA V.1"の車内 "PUMA V.1"の自転車等を搭載可能な荷物車の車内座席と冷房が設置されておらず、開閉可能な窓と天井のファンデリアが確認できる PUMA V.2 - "PUMA V.1"の運用実績に基づき2004年より導入された2次車。中間車は全て運転台が撤去され完全固定編成となった。改造時期に同国で債務不履行(デフォルト)に関連する「経済危機」が発生し、更新工事に必要な金属等の値段が高騰した事により、側面窓が小型のものに変更されるなど"PUMA V.1"に比べ使用する材料が簡素化されている点が特徴。2005年に登場したサルミエント線向けの9両1編成については定員増化を目的に「新造」した2階建て車両を中間に4両連結しているほか、車体側面の窓が"PUMA V.1"と同様の大型のものとなっている。この2階建て車両を連結した編成"Tren doble piso"の窓配置は"PUMA V.1"と同様であり、のちに後述の"PUMA V.4"の登場に合わせ車両編成が変更され、"PUMA V.4"と同様の2階建て車両と1階建ての車両が交互に連結されるように組み変えられた。一部の車両は後述の"PUMA V.3"と混結されて運用された。塗装は二階建ての車両も含め前述の"PUMA V.1"と同様であったが、"PUMA V.3"と混結した編成は車体全体が紫、窓下を銀色の線で塗装したものを採用した。 2005年にサルミエント線に投入された"PUMA V.2"前面窓が3枚小型窓に変更されている "PUMA V.2"の中間車 サルミエント線の"PUMA V.2"の荷物車(写真左)には冷房装置は搭載されていない車内に収まらなかった乗客がドアの外にはみ出している サルミエント線の"PUMA V.2"に連結されていた2階建て中間車 PUMA V.3 - 2008年から導入が行われたバージョン。空気力学に基づき先頭車前面が流線形に変更されたほか、車両の現在位置を人工衛星を使って監視するGPSシステムを搭載。座席は人間工学に基づく軽量のバケットシートを採用し、車両全体の軽量化を図っている。一部の車両は"PUMA V.2"と混結して運用されたうえ、2012年には後述のフローレス駅での事故で損傷した"PUMA V.2"が復旧時にこの"PUMA V.3"へ改造されている。車体全体を紫色で塗装し、窓下に銀色の線を配置した塗装で登場した。 "PUMA V.3"サルミエント線 "PUMA V.3"ミトレ線 "PUMA V.3"ミトレ線での走行動画 PUMA V.4 - V.3の中間車のうち4両を2階建て車両に変更した、サルミエント線向けの編成。2011年に登場し、1階建ての車両と2階建て車両が交互に連結される8両もしくは9両編成を構成していた。この2階建て車両は"PUMA V.2"のものと同様に付随車として落成したが、将来的には増備により2階建て車両のみの編成にし、輸送効率を上げる計画が存在したため、アセア・ブラウン・ボベリ(ABB)社の電気機器を採用・搭載して電装するという契約が結ばれていたほか、一部車両の台車は中国製かつアルゼンチン初のボルスタレス台車を搭載し、連結器と車両間の幌以外は完全に新品を用いたものの、1973年に最後の車両が落成して以来、実に37年ぶりの新造・増備車両(新車)となった。需要に車両数が追いつかず、あまりの混雑により朝夕はドアが閉まらないまま運行されることが頻繁に見られたサルミエント線の輸送改善の期待をかけて登場した"PUMA V.4"であったが、後述の重大事故によるTBAの運営契約取り消しにより改造は途中で打ち切りとなった。この2階建て車両は25両が製造される予定であったが、最終的に20両のみの製造となった。塗装は後述の2階建て客車と同様のものである、銀色を基調とし、窓周りを紫、その下に細い赤線を配置した斬新なものを採用した。 "PUMA V.4" "PUMA V.4"中間に2階建て車両が1階建て車両と交互に4両連結されている "PUMA V.4"の1階建ての車両の車内とそれを視察するクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領(当時) "PUMA V.4"の2階建て車両の車内(2階) "PUMA V.4"の2階建て車両の車内(1階)
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