ドイツ民俗学とは? わかりやすく解説

ドイツ民俗学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:07 UTC 版)

民俗学」の記事における「ドイツ民俗学」の解説

一方ヨーロッパにおいて最も盛んに研究が行われてきたドイツでは、民俗学はフォルクスクンデ(Volkskunde)と呼ばれフォルクドイツ民族ドイツ国民)に共通する精神発見という民族主義的色彩が濃い学問であった。もともとドイツ語圏では哲学者ヘルダーJohann Gottfried Herder)が民族の魂の発露としての民謡概念提唱し次いで昔話収集古法法諺研究有名なグリム兄弟らが、ドイツロマン主義背景神話学としての民俗学への道筋敷き、それは時代風潮とも合って一種ブームとなった。そのためロマン派のドイツ民俗学はゲルマニスティクドイツ語学文学研究)との重なり強かった。その傾向に異を唱えたのは、1850年代ヴィルヘルム・ハインリヒ・リールであったリールは、ロマン派民俗学が珍習奇俗の収集とそれを神話との関係で読み解く好事家的な方向にあることを批判し現実民衆生活を体系的に把握すべきことを説いた。特に「学問としてのフォルクスクンデ」が重要であるが、ドイツ民俗学の関係者リール注目するうになるのは20世紀入ってからであり、リール自身グリム兄弟との接触もなく、また生前には民俗学人脈とはほとんど無関係であった。後にリールはドイツ民俗学の指標とされるうになるが、他方リール思想保守性反動的性格指摘する声も根強く評価めぐって何度も論争起きた1891年にはグリム兄弟晩年弟子でもあるカール・ヴァインホルト(ベルリン大学教授)がベルリン民俗学会を基礎民俗学協会の設立へと軌道敷き、それが後に今日のドイツ民俗学会となったドイツでは19世紀後半から民俗学盛んになり、研究組織愛好団体多数あったが、統一的組織はなく、その意味でドイツ民俗学会の設立はドイツ民俗学の展開においてエポックとなった。ヴァインホルトはドイツ語史や方言研究専門とするドイツ語学教授で、グリム兄弟神話民俗学方向伸ばし民俗学学問発展させるべく学会機関誌として『民俗学誌』の刊行始めた20世紀前半には、ハンブルク大学において初め大学での民俗学ポスト(ただし、設置者構想ではハンブルク都市史重点があった)に就いたオットー・ラウファー(Otto Lauffer)、ロマン派民俗学との決別劇的に表現したスイスのエードゥァルト・ホフマン=クライヤーEduard Hoffman-Krayer)、上層文化下層文化二層論を提示したナウマンHans Naumann)、心理学的方法提唱したアードルフ・シュパーマーなど多く理論家生まれた。 しかし現行の習俗古代との連続性(Kontinuität)があるものと捉え農村生活や農民原初ドイツ民族精神見出そうとする傾向をもつ民俗学は、本質的に民族主義的政治イデオロギー取り込まれやすい性格有しており、1933年以降国家社会主義時代には国民統治および人種主義国策学問へと取り込まれていったナチス政権下国策民俗学機関として「ローゼンベルク機関」と「アーネンエルベ祖先遺産)」が組織されゲルマン民族遺産解明のためあらゆる資料集められ、その中には荒唐無稽な古文書含まれオカルティック偽史までが国策利用されていったナチス党員としてプロパガンダ作成民俗行事創出積極的に関わった学者は必ずしも多くはなく、熱狂的となったのは若手少壮中心で、彼らはまたナチ・エリートでもあったが、他の大半研究者批判的視点をもつには程遠く思想的ナチズム同質同根要素かかえていたのが実態であり、それだけ問題根深いものがあった。そうした体質が、戦後何度か波をつくりながら批判されることになった戦後西ドイツ民俗学界は、学問として信頼失ったフォルクスクンデを自己批判することを原動力に、再出発を図ることになる。ミュンヘンではハンス・モーザーカール=ジーギスムント・クラーマー中心となり、民族主義との親和性の高い過去遡及型の方法放棄し、より実証的な歴史民俗学への道を模索した現行の民俗事象把握では、テュービンゲン大学ヘルマン・バウジンガー最初主要著作科学技術世界のなかの民俗文化』(1961年刊)において、科学的な技術機器と常に身近に接する生活のあり方こそ近・現代生活文化基本であるとの観点に立ち、逆に伝統文化伝承には一種異質性それゆえ吸引力があることに着目して民俗学背景となっていた、伝統伝承基底的なものを見てきた従来通念覆すような理解構図提示した。またこれに理論的な支柱得てハンス・モーザーがフォークロリズム(フォークロリスムス、Folklorismus)の概念提起し、さらにバウジンガーが補強したことによって、観光化され祭り・イベント新たに創出され習俗民俗学対象取り込むことが大幅に進展し変化しにくいとされる伝統習俗固執する旧い民俗学からの脱却図られた。 バウジンガーは、1971年テュービンゲン大学研究所からフォルクスクンデの名称を廃し代わりにInstitut fur Empirische Kulturwissenschaft経験的[型]文化研究所)の名を冠したこのように1970年代以降のドイツ民俗学では、戦前清算象徴するようにフォルクスクンデの名が消えつつあり、同時にその方法文化人類学歴史社会学など、社会科学寄りへと大きく変容し、また近年ではEU日常生活次元でも枠組みとなる趨勢もあって、マールブルク大学先駆けとするヨーロッパ・エスノロジー/フォルクスクンデの二重名称を採用することが多くなっている。日本でもドイツ動き刺激されて、民俗学の名称へ疑問起きている。ただし、学問名称をめぐっては、ドイツ民俗学の研究者河野眞は、ドイツ語の「フォルクスクンデ」は一般語であると共に、<民の覚え>といった古めかしくもあれば馴染みやすくもある語感をもち、それゆえ言葉独り歩きし混乱大きくした面があること、それに対して日本語の「民俗学」は民俗研究もっぱら指す造語性格にあり、その違いを見ると、学問名称の当否に関するかぎり日本語の場合大きな問題ではなく、むしろドイツ民俗学界において名称変更機になされた議論中身注目すべきである説いている。

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