ドイツ民主共和国の軍人として
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「ホルスト・シュテッヒバルト」の記事における「ドイツ民主共和国の軍人として」の解説
1949年、在独ソ連軍政府は占領地の治安維持を担うドイツ人民警察に対し、軍事部門たる機動警察(Bereitschaftspolizei)の設置を命じた。人民警察の各地方支部では、旧ドイツ国防軍将兵から隊員の募集を行い、1949年3月1日にはシュテッヒバルトも入隊を果たす。この際、集団指導者(Gruppenführer)に選出された事を皮切りに、シュテッヒバルトは高級将校への道を歩み始める。1954年から1955年にかけて、彼は士官学校に士官候補生として在籍し、その後はポツダムに駐屯する第1自動車化狙撃兵師団にて副師団長及び師団長を務めた。1959年から1961年にかけてソビエト連邦のソ連軍参謀本部大学校(ドイツ語版)に在籍し、卒業までに少将 (Generalmajor) へ昇進した。 1964年から1967年には第5軍管区長(司令部:ノイブランデンブルク)を務め、1970年11月2日には中将(Generalleutnant)への昇進を果たす。1972年、新設された地上軍司令部にて地上軍司令官に任命され、また1989年まで国防副大臣と兼任する。国家人民軍建軍20周年記念に当る1976年3月1日、彼は大将(Generaloberst)に昇進すると共にドイツ社会主義統一党中央委員に任ぜられた。ただし、シュテッヒバルト自身は政治的指導者としてよりは、一介の軍人として振る舞うことを好んでいたという。 建国記念日にあたる10月7日に東ベルリンのカール・マルクス大通りで毎年行われる軍事パレードを指揮していたが、1989年の40周年が最後となり、1989年12月31日を以て空軍・防空軍総司令官および国防次官のヴォルフガング・ラインホルトや政治総局長ホルスト・ブリュンナーとともに退役した。
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