ドイツ民主党の結成とは? わかりやすく解説

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ドイツ民主党の結成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 01:54 UTC 版)

ドイツ民主党」の記事における「ドイツ民主党の結成」の解説

帝政時代進歩人民党(Fortschrittliche Volkspartei、略称:FVP)と国民自由党(Nationalliberale Partei、略称:NLP)の左派国民自由党主流派ドイツ人民党形成)が統合され1918年11月20日創立され政党である。革命後、いち早く共和政擁護民主主義確立訴えた知識人たちにより創設され政党であり、初代党首にはフリードリヒ・ナウマン就任し、「進歩成長志向私経済社会正義寛容同胞意識、そして個人主義」を標榜した。 ヴァルター・ラーテナウ代表される資本家支持受けていたが、議会主義立脚して調停者役割果たそうしたためドイツ社会民主党(SPD)や労働組合社会政策労働政策にも協力的であり、中小資本家都市中間層知識人層、一部労働者層からも支持受けていた。とりわけフーゴ・プロイスマックス・ヴェーバーアルフレート・ヴェーバー兄弟など有名な学者たちが異彩を放った。 また大ドイツ主義ドイツとオーストリア合併)に最も熱心な党だった。これは大ドイツ主義達成1848年革命完成とみる自由主義左派思想に基づく。とりわけナウマン中央ヨーロッパ主義者が熱心な大ドイツ主義推進者であり、ナウマン死後もヴィルヘルム・ハイレ(ドイツ語版)、ゲルトルート・ボイマー(ドイツ語版)、テオドール・ホイスナウマン主義者たちが大ドイツ主義強く主張し続けたヴァイマル共和政下最初国民議会選挙第3党の地位獲得してドイツ社会民主党(SPD)のフィリップ・シャイデマン首相とする連立政権一部となったヴァイマール憲法ドイツ民主党所属憲法学プロイス起草よるものだった。一時ヴェルサイユ条約への反対から連立から離れたが、すぐに連立復帰した以降社民党中央党民主党穏健左派中道・リベラル連立政権を組むことが多くなり、この3党の連携体制は「ヴァイマル連合ドイツ語版)」と呼ばれた1920年6月国会選挙ではもっとも凋落した党となった民主党前回国民議会選挙560票の得票得ていたのに、この選挙では230票しかとれず、75議席から45議席落とした。これは前回選挙では有権者民主党を勝たせて民主主義国ドイツアピールすればもっと寛大な講和条件で済むだろうと思っていたのに、そうはならなかったことから有権者民主党を見限ったものと考えられている。またフリードリヒ・ナウマン1919年8月死去し、フリードリヒ・フォン・パイヤー(ドイツ語版)が老齢引退するなど知名度の高い政治家早期失ってしまったこともある。 さらに民主党支持層にはユダヤ人多かったため、反ユダヤ主義者から「ユダヤ人の党(Juden Partei)」と呼ばれて攻撃晒された。人民党シュトレーゼマンも「民主党巨大な財源自由にでき、全ユダヤ銀行がその背後にいる」と述べている。民主党その後の選挙でも後退続いた。 また民主党内は常に分裂していた。最高意思決定機関議員団であったが、議員団には右派左派があった。右派議員工業資本銀行資本などに近く、党商工業委員会メンバーであるベルンハルト・デルンブルク、ヘルマン・フィッシャー(ドイツ語版)、エドゥアルト・ハム(ドイツ語版)、オスカー・マイヤードイツ語版)などが代表的人物だった。右派議員富裕層が多いので党への政治献金通じて選挙名簿作成大きな影響力をもっていた。一方左派議員代表的人物には労働組合関係のアントン・エアケレンツ(ドイツ語版)、グスタフ・シュナイダー(ドイツ語版)、エルンスト・レマー(ドイツ語版)やユダヤ団体関係のルートヴィヒ・ハース(ドイツ語版)などがいた。さらに両派の中間派としてエーリヒ・コッホ=ヴェーザー(ドイツ語版)、カール・ヴィルヘルム・ペーターゼン(ドイツ語版)、ゲルトルート・ボイマーらがおり、彼らが調停役の役割果たした1924年以降コッホ=ヴェーザーの指導確立したが、彼は党内分裂状態克服するためにも大連政策一貫して追求した。その戦術についてコッホ=ヴェーザーは1926年次のように論じた。 私は共和国護りヨーロッパ諸国協調求め、そしてライヒ統一ライヒ政府の力とを強化促進する連合支持する。そしてこの意図多数派政権によって最も確実に達成される国家人民党このような目標設定背馳するから、多数派政権としては大連合が唯一のものとなる。社民党大連合を拒否すれば中道政権を、人民党大連合を拒否すればヴァイマル連合断固として試みなければならない この立場のため民主党大統領内閣が始まる1930年までは国家人民党政権参加する場合除いて原則として常に政権参加していた。

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