ドイツ民主共和国期
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「ドイツ将校同盟」の記事における「ドイツ民主共和国期」の解説
解散命令を下されたにも係わらず、依然としてドイツ将校同盟はソ連占領地域における一定規模の勢力として存在し続けていた。ドイツ民主共和国(東ドイツ)の成立後、ポツダムのボルンシュテット(ドイツ語版)にある1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件における犠牲者追悼の為に立てられた教会にて、ドイツ将校同盟は軍事諜報機関として再結成を果たす。新たな組織には旧ドイツ将校同盟と親交のあった神学者フリードリヒ=ヴィルヘルム・クルマッハー(ドイツ語版)を始めとして、ヴィンツェンツ・ミュラーやマルクス・ヴォルフなどが所属したが、一方でこれに所属したドイツ将校の大多数は未だに旧ドイツ帝国に忠誠を誓っており、彼らはドイツ民主共和国市民として認められなかった。その為、結局ポツダム=ボルンシュテットの組織は活動こそ認められていたものの、ヴァルター・ウルブリヒト政権当局が公機関として承認することはなかった。またポツダムにおいて赤軍の活動を支援していたポツダム将校団 (Potsdamer Offizierskreis, ヒトラー暗殺未遂を支持したドイツ将校の会) も、同様の理由から認められなかった。 ポツダム=ボルンシュテットの組織ではポツダムがピョートル1世時代のロシア帝国とプロイセン王国の軍事的友好を象徴する都市と主張し、政府による承認を求め続けた。しかしヒトラー暗殺未遂事件などに関する見解の差異から、ポツダム=ボルンシュテットの組織と政府当局の関係は徐々に悪化していった。最終的に、1955年にポツダム=ボルンシュテットの組織を始めとする諸組織は独ソ友好協会(ドイツ語版) (DSF) に統合され、またフリードリヒ・クルマッハーは1955年にグライフスヴァルトで、ポンメルン福音主義教会の監督に選出された。なお彼は1933年に国家社会主義ドイツ労働者党に入党した過去を持つ親ナチの牧師だった。
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