「平成の大合併」についてとは? わかりやすく解説

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「平成の大合併」について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 09:55 UTC 版)

江北町」の記事における「「平成の大合併」について」の解説

当初杵島郡合併協議会参加していたが、新役場建設位置などを巡り破綻当面単独町制維持する、としている。

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「平成の大合併」について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:55 UTC 版)

高崎市」の記事における「「平成の大合併」について」の解説

第一次合併群馬町箕郷町新町倉渕村1997年平成9年以来中核市への移行目指し周辺市町村との合併模索してきたが、2003年平成15年12月倉渕村群馬町新町吉井町任意合併協議会設置し合併協議本格化した。その後吉井町法定合併協議会設置案を否決し協議から離脱した箕郷町では住民投票の結果賛成多数となった事を受けて群馬町新町倉渕村とは別に高崎市との法定合併協議会設置したその後、5市町村同時合併目指し合同協議会開き2005年平成17年2月8日合併協定調印至った2006年平成18年1月23日倉渕村箕郷町群馬町新町の4町村高崎市編入し法定人口合併市町村2005年国勢調査人口合算値)が318,097人となり中核市への移行要件満たすことになった。この時点では榛名町合併慎重派町長推進派が多い町議会対立などで合併協議に加わらなかったため、旧倉渕村飛地となったまた、新町藤岡市などとの合併協議から離脱し隣接していないが繋がりの深い高崎市との合併選択したため、飛地となった。 なお、この合併によって住所表記が以下のように変更された。 旧高崎市はほぼ変更はないが、「高崎市新(あら)町」は新(しん)町地域と重複するため「高崎市あら町」に変更された。 旧群馬町合併前の大字名の後に「町(まち)」が付いた。例:群馬郡群馬町大字金古→高崎市金古町箕郷町は「箕郷町」、旧倉渕村は「倉渕町」と高崎市の後に付きその後合併前の大字名付いた。例) 群馬郡箕郷町大字柏木沢→高崎市箕郷町柏木沢 例) 群馬郡倉渕村大字三ノ倉→高崎市倉渕町三ノ倉新町多野郡部分が「高崎市」に変更された。例) 多野郡新町高崎市新町 第二次合併榛名町榛名町では、2005年平成17年11月合併推進派の住民が約7900名の署名集めて慎重派町長辞職請求し町長リコール投票前辞職、これを受けた町長選挙結果2005年平成17年12月合併推進派の町長就任した一方慎重派住民起こした町議会リコール住民投票でも「解散反対」が多数占めその後2006年平成18年2月高崎市榛名町合併協議会設置した高崎市群馬町新町箕郷町倉渕村との合併協定項目を榛名町追認する形を取ったため、5月8日には合併協定調印こぎつけ、両市町議会群馬県議会議決経て7月13日には総務大臣官報告示し2006年平成18年10月1日合併が行われた。この合併により旧倉渕村域の飛地状態が解消され高崎市人口は約34万人史上初め前橋市人口上回り県内で最も人口抱え都市となった同時に広大な市域抱え、特に面積127.26k㎡、人口密度35人の倉渕村編入したことで人口密度大きく低下し、約800人で前橋市次いで県内第5位である。また可住地人口密度は約1500人で伊勢崎市次いで県内第2位である。合併前の旧市人口は約24万人前橋市次いで県内第2位人口密度は約2200人で県内第1位であった。 なお、この合併によって旧榛名町住所表記が、合併前の大字名の後に「町(まち)」が付く形に変更された。 例) 群馬郡榛名町大字下室田高崎市下室田町 但し、大字榛名山地域は、地区住民総意として榛名湖周辺次の区域合併同時に高崎市榛名湖町分割された。 字滝ノ平、氷室嶽天神嶺、相馬嶽、沼ノ原富士山及び榛名湖区域 第三次合併吉井町2003年平成15年)に任意協議会設置されたが、合併賛成反対で町は二分し合併賛否を問う3度住民投票が行われ、合併反対多数占めた町議会合併同意2008年平成20年7月高崎市吉井町による合併協議会設置され2008年平成20年10月16日高崎市長・吉町長による合併協議項目の調印完了させ、2009年平成21年1月8日高崎市が、1月13日吉井町それぞれ関連議案可決し2009年平成21年6月1日合併実現した新市人口366966人、面積は459.36m2(2008年6月1日現在)に及ぶ。しかし、一部合併反対派住民合併関連祭典等への参加拒んでおり、今後はこのしこりを取り除くことが課題となっている。 なお、この合併によって旧吉井町住所表記が以下のように変更された。 高崎市の後に「吉井町」と付きその後合併前の大字名付いた。例) 多野郡吉井町大字吉井川高崎市吉井町吉井川 将来合併構想前橋市玉村町高崎市2002年平成14年6月玉村町合併呼びかけたが、2003年平成15年12月任意合併協議会設立玉村町参加見合わせた2007年平成19年)にも玉村町住民署名による直接請求に応じて高崎市合併協議会設置可決しているが、玉村町では否決している。2008年平成20年1月20日行われた玉村町長選では、高崎市との合併推進派と合併慎重派一騎討ちとなったが、合併慎重派候補当選している。 2007年平成19年10月前橋市長から、高崎との合併による政令指定都市実現構想する旨の発言があったが、歴史的経緯から根深い対立互いの市にあることもあり、NIRA総合研究開発機構)の対談シリーズ第26回2007年11月19日)において、松浦高崎市長は「前橋との合併極めて困難」であると語っている。 松浦高崎市長は、自らのホームページ上で、「高崎市は、高崎都市圏玉村町藤岡市安中市)での広域合併実現し太平洋日本海を結ぶ結節点として、新潟市さいたま市等の政令指定都市比肩しうる拠点都市実現したい」旨を表明している。 「東国市構想」も参照

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「平成の大合併」について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 13:55 UTC 版)

川場村」の記事における「「平成の大合併」について」の解説

21世紀初頭日本中で行われた平成の大合併川場村にとっても例外ではなく当初沼田市利根郡8町村加えた枠組での合併検討された。 一方2002年1月若手管理職らで構成される研究会報告で「単独存続」「周辺町村との合併」に加えそれまで20年以上交流続けていた「東京都世田谷区との合併」を選択肢1つとして提示した。これについて横坂太一村長当時)は「近いから合併するというではなくソフト面での結びつき考えなければならない」と肯定的な見解述べ世田谷区大場啓二区長当時)も「合併申し入れがあれば、財政的な負担含めて検討する」と応じた法的に合併は可能であり、県境接しない飛び地合併初めてのケースという事注目集めたが、現実と区とでは160kmも離れている上、群馬県中に東京都飛地ができるのは、地域感情手続き県議会都議会議決および両知事承認が必要となる)といった面で様々な難し問題生じさせかねない事から、実現しなかった。 2005年には利根郡域において、昭和村片品村を除く5町村沼田市編入)とみなかみ町新設)に再編され川場村単独生き残り選択する事となった。

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「平成の大合併」について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 14:05 UTC 版)

木島平村」の記事における「「平成の大合併」について」の解説

21世紀初頭日本中で行われた平成の大合併木島平村にとっても例外ではなく当初飯山市野沢温泉村木島平村の岳北地域3市村による合併検討された。 合併際し飯山市野沢温泉村財政事情域内民間スキー場斑尾高原戸狩温泉等)への影響考慮し木島平村に対して同村が90.2%を出資し第三セクター方式運営する木島平スキー場民営化求めた。この件に関し木島平村は「スキー場地域振興」とし、将来的民営化目指すもの合併時は第3セクター方式存続反発し研究会等でも議論平行線辿った。 これに加え村民対し行ったアンケート村民の約9割に当たる4,222人が回答)の結果合併反対が約6割近く上った事から、柳沢万寿村長当時)が2004年3月11日村議会において単独での生き残り決議し3月31日付で合併問題研究会から離脱。会は解散となった2012年7月14日15日2日間にわたって第一回全国村長サミット木島平村財団法人自治総合センター主催行われた

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「平成の大合併」について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 05:27 UTC 版)

増穂町」の記事における「「平成の大合併」について」の解説

平成の大合併では最初南アルプス市との合併検討されたが、南アルプス市側が時期尚早であるとの見解から破綻かわりに西八代郡市川大門町六郷町南巨摩郡鰍沢町との合併検討されたが、2004年増穂町が行なったアンケート結果において合併反対賛成上回ったため協議断念し一時単独町制視野入れていた。 しかし2007年平成19年)の町長選挙合併推進掲げた町長当選したことにより鰍沢町との合併協議再開され2008年平成20年9月協議会設置された(市川大門町六郷町三珠町合併して誕生した市川三郷町とも合併し市制執行目指していたが、市川三郷町側が慎重な姿勢見せたため断念)。その後合併反対派による町長に対してリコール運動展開されたものの、2009年平成21年6月調印が行なわれ、2010年平成22年3月8日鰍沢町対等合併することが決定した新し町の名前富士川町ふじかわちょう)となる。なお、静岡県に同じ名前の町が存在したが、2008年平成20年11月富士市合併したため、重複はしない増穂町鰍沢町合併協議会

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