「平和解放」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 04:24 UTC 版)
胡錦濤総書記が「チベットの平和解放」と表現したことに対して、国際チベットネットワークは、「平和解放ではなく軍事支配である」として反論している。同団体によれば、1949年に始まった中国によるチベット侵攻は、武力による侵略で、1950年10月7日、人民解放軍総勢4万 がディチュ河 (長江)を越え チベット中心部に侵攻、チベット軍は降伏し、1911年以来、独立国であったチベットは、被占領国家となった。なお2011年3月30日にスペイン最高裁判所第二法廷は、国際法の観点からはチベットが「被占領国家(an occupied state)」であると認定した。 さらに同団体は、1959年3月のラサの抗議行動に対して人民解放軍が砲撃を開始し、ダライ・ラマはチベットからの脱出を余儀なくされ、中国側の発表でも8万7千人のチベット人が死亡または逮捕された。1989年にはデモに対して戒厳令が布かれ、2011年現在もチベット高原一帯には、推定で15万から50万の中国軍が駐留しており、「平和解放」という表現は実際の現実や歴史とは全く異なることを指摘している。 朱維群(Zhu Weiqun)中国共産党中央統一戦線部常務副部長は「チベットの平和的解放なくして、中国共産党と人民解放軍への入党なくして、被支配層の農奴であるチベット人はCPCの政策を深く理解することは不可能である」と明言している。
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