「さくら」の変遷
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「さくら (列車)」の記事における「「さくら」の変遷」の解説
1963年(昭和38年)12月:「さくら」に二等寝台車1両を増結。この増結した車両は博多駅回転となった付属編成に連結。 1964年(昭和39年)6月:「さくら」の緩急二等座席車「ナハフ20形」を緩急二等寝台車「ナハネフ22形」に変更。 1965年(昭和40年)3月:「さくら」の緩急二等座席車「ナハフ21形」を緩急二等寝台車「ナハネフ21形」に変更。これにより、二等座席車の連結を終了。 10月:ダイヤ改正により、「さくら」の運行区間を東京駅 - 佐世保駅・長崎駅間に変更。この改正では従来長崎駅に乗り入れていた基本編成が佐世保駅発着となり、長崎駅には博多駅で増解結していた付属編成が乗り入れることとなった。両編成の分割・併合は肥前山口駅で行なった。 「さくら」の東京駅 - 下関駅間の牽引機がEF60形500番台からEF65形500番台(P型)に変更された。なお、関門間はEF30形、鹿児島本線はED72形及びED73形、長崎本線・佐世保線内はDD51形が牽引した。 また、佐世保編成はスイッチバックを行う早岐駅から終着の佐世保駅まではC11形蒸気機関車がバックで牽引し話題となった。 1965年10月1日時点の編成図さくら ← 早岐・長崎 佐世保/東京 → 編成基本編成 付属編成 号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 カニ22 ナロネ22 ナロ20 ナハネ20 ナシ20 ナハネフ21 ナロネ21 ナハネ20 ナハネフ22 食堂車「ナシ20形」、一等座席車「ナロ20形」及び「ナロネ22形」に6室設置していた1人用個室一等寝台「ルーメット」を連結した編成(これをいわゆる基本編成と称する)が佐世保駅発着となり、長崎駅発着編成には全室開放式一等寝台車「ナロネ21形」と二等寝台車のみのいわゆる付属編成が乗り入れた。 付属編成については、肥前山口駅以西では8号車前頭にオハシ30形等旧形客車から改造された簡易電源車「マヤ20形」が連結された。 1966年(昭和41年)10月:「さくら」の基本編成を長崎駅発着、付属編成を佐世保駅発着に変更。 1967年(昭和42年)10月:このときのダイヤ改正により「九州観光列車」の名称を変更し、長崎行きを「五島」(ごとう)とする。 1968年(昭和43年)6月20日:「さくら」長崎編成中に連結していた一等座席車「ナロ20形」を二等寝台車「ナハネ20形」に変更。座席車の連結を終了。この時点での編成図はこちらを参照されたい。 10月1日:ヨン・サン・トオのダイヤ改正により、以下の通りの変更を実施。なお、20系客車に110km/h対応改造が実施されたことで、本改正から最高速度が110km/hとなった。従来、東京駅 - 西鹿児島駅間運行の「はやぶさ」の付属編成の博多駅切り離しを止め、長崎駅まで延長。 急行列車「五島」を「ながさき」に列車名を変更。同時に季節列車化。 従来、東京駅 - 佐世保駅・長崎駅間運行の「西海・雲仙」は運行区間を変更。大阪駅 - 佐世保駅間運行の「西海」、京都駅 - 長崎駅間運行の「雲仙」に運行区間・形態を変更。→以降はあかつき (列車)、山陽本線優等列車沿革も参照されたい。 1970年(昭和45年)10月1日:急行「ながさき」の運行区間を大阪駅 - 長崎駅間とし、列車名を「雲仙」に変更。これにより、「さくら」と「はやぶさ」が東京駅対長崎県連絡の使命を負う事となる。 1972年(昭和47年)3月15日:「さくら」と「みずほ」「あさかぜ(下り)2号・(上り)3号の使用車両を、当時「新型ブルートレイン」と称された14系客車(14系14形)に変更。詳細は下図を参照されたい。食堂車はオシ14形0番台、A寝台車はオロネ14形0番台を使用、B寝台車はオハネフ14形0番台とオハネ14形0番台を使用。 1972年登場当時14系寝台客車編成図表・編・話・歴・PJR・PJRN・C 東京 → 14系客車登場当時編成図編成基本編成付属編成号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 座席種別B A B B D B B B B B B B B B 形式スハネフ14 オロネ14 オハネ14 オハネ14 オシ14 オハネ14 オハネ14 スハネフ14 スハネフ14 オハネ14 オハネ14 オハネ14 オハネ14 スハネフ14 座席種別 A=開放式A寝台 B=開放式3段B寝台 D=食堂車 基本編成(長崎発着):食堂車「オシ14形」及び全室開放式A寝台車「オロネ14形」を連結 付属編成(佐世保発着):B寝台のみ 分散電源方式の14系客車の導入により、佐世保編成への簡易電源車の連結が終了。 このため、「さくら」への1人用A個室寝台及び佐世保編成へのA寝台車の連結が終了。なお、佐世保編成のA寝台車連結は1994年に復活する。 なお、詳細な編成表はこちらも参照されたい。 1975年(昭和50年)3月10日:山陽新幹線博多駅乗り入れに伴うダイヤ改正を実施。この際、「はやぶさ」の車両を20系客車から、24系客車(24系24形)に変更。これに伴い「はやぶさ」を西鹿児島駅・長崎駅行きから、西鹿児島駅行き(付属編成は熊本駅まで)に変更し、分散電源方式の14系客車で運転していた熊本駅行きの「みずほ」を熊本駅・長崎駅行きに変更した。この時期の「さくら」・「みずほ」の編成図についてはこちらを参照されたい。 1978年(昭和53年)7月:「さくら」の東京駅 - 下関駅間の牽引機がEF65形500番台(P型)からEF65形1000番台(PF型)に交代。また、この頃で列車食堂の郷土料理メニュー導入により食堂車にちゃんぽんや皿うどんなどの長崎県の郷土料理が登場。 1983年(昭和58年):寝台特急「さくら」号及び寝台特急「みずほ」号に使用中の14系14形のオハネ14形及びスハネフ14形のB寝台を3段式から2段式に改造するのに伴い、長期にわたりB寝台車の計画的な欠車を実施。一部の列車では、電源車であるスハネフ14形の代用に座席車であるスハフ14形を連結。 1984年(昭和59年)2月:1970年代半ばより合理化策の一環として廃止されていた九州島内のヘッドマークの取り付けが復活。ちなみに、九州島内では「円盤型」と称される中華鍋に類似した半円形の形態のものが用いられた。 7月20日:寝台特急「さくら」号の長崎編成及び寝台特急「みずほ」号の熊本編成に使用中の14系14形のB4オハネ14形(3両)からの改造車4人用B個室寝台車「オハネ14形700番台」「カルテット」の連結を開始。また、この時期までにB寝台の2段化が完了。BC個室従来、個室寝台は一等・二等寝台車の後身となるA寝台でのみあり、1984年時点では24系25形客車の1人用個室である「オロネ25形」が唯一の存在であった。しかし、グループ利用の促進等を目的として、初めてB個室寝台として改造された。 1984年7月20日からの「さくら」・「みずほ」編成図 表・編・話・歴・PJR・PJRN・C 「さくら」「みずほ」 ← 長崎・熊本・早岐 佐世保/東京 → 14系客車「カルテット」編成組み込み時の編成編成基本編成付属編成号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 座席B A B4 B D B B B B B B B B B 形式スハネフ14 オロネ14 オハネ14700番台 オハネ14 オシ14 オハネ14 オハネ14 スハネフ14 スハネフ14 オハネ14 オハネ14 オハネ14 オハネ14 スハネフ14 「さくら」は、基本編成が東京駅 - 長崎駅間、付属編成が東京駅 - 佐世保駅間で運転。佐世保駅発着編成は早岐駅で進行方向を変える。 「みずほ」は、基本編成が東京駅 - 熊本駅間、付属編成が東京駅 - 長崎駅間で運転。 なお、1984年(昭和59年)7月20日の「カルテット」編成組み込み時点では一部開放式B寝台車両の2段式改造が行われていなかったが、1984年(昭和59年)9月までには完了した。 凡例 A=開放式A寝台 B4=B寝台4人用個室「カルテット」 B=開放式B寝台 D=食堂車 1985年(昭和60年)3月のダイヤ改正頃から~1986年(昭和61年)11月のダイヤ改正に掛けて↓ 1985年(昭和60年)3月:「さくら」の東京駅 - 下関駅間の牽引機がEF65形1000番台からEF66形に交代。これに合わせ、同区間のヘッドマークのデザインを「みどり地にピンクの桜」へ変更。 1986年(昭和61年)11月1日:翌年の国鉄分割民営化に備え、品川運転所に集中配置されていた東京発九州行きの寝台特急客車の転配が行われ、以後、長崎編成は熊本運転所、佐世保編成は品川運転所が受け持つこととなった。この際、熊本運転所には、向日町運転所から「明星」廃止により余剰となった14系15形(スハネフ15形4両、オハネ15形7両)も転入し、14系14形に混じって「さくら」及び「みずほ」での使用を開始した。なお、編成図はこちらも参照されたい。
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